スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

『幸福について』 朗らかさと健康

幸福について―人生論 (新潮文庫)
ショーペンハウアー
4102033017


 ショーペンハウアーはいくつもの主観的な財宝(幸福に寄与する人のあり方)をあげています。

 「優れた性格と有能な頭脳と楽天的な気質と明朗な心と健康そのもののような頑丈な体格、要するに健全な身体に宿る健全な精神が、われわれの幸福のためには第一の最も重要な財宝である。」(『幸福について』ショーペンハウアー、橋本文夫訳)

 健全な身体に宿る健全な精神とはこれまたギリシャ的な理想を掲げたものだと思いますが、そうした人間が虚弱な体に陰鬱な性格を宿した人間よりも、幸福を感じやすいことは論を待たないでしょう。

 この後、ショーペンハウアーは意外なことをいいます。自身は厭世的で皮肉屋で陰鬱な性格だったにもかかわらず。

 「さてこういった種々の財宝のうちで最も直接的にわれわれを幸福にしてくれるのは、心の朗(ほが)らかさである。」(『幸福について』)

 「陽気な人には常に陽気であるべき原因がある。その原因とは、ほかでもない、彼が陽気だということなのだ。」 (『幸福について』)

 人は気持ちがすぐれないときはなんとかして、気持ちを高揚させようとします。ウツでいるのは苦しいので、休んだり、音楽を聴いたり、気晴らしをしたりして、なんとか陽気でありたいと思います。ウツ状態では何も楽しめません。朗らかであること、陽気であることは、楽しめる準備ができている、楽しめる状態にあるといってもいいでしょう。

 いえ、朗らかであれば、それよりさらに進んですでに楽しい状態にあるのです。何もしなくても、なんとなく快適です。

 「直接、現在において幸福を与えるものは朗らかさ以外にないのだから、朗らかさばかりはいわば幸福の正真正銘の実体、幸福の正貨であって、他のいっさいのものと同じような単なる兌換券(だかんけん)ではない。」(『幸福について』)

 朗らかさを幸福の実体とまでいってよいものかと疑問に思いますが、楽しい気持ちになるために人がいろいろなことをするという意味では、朗らかさは目的であり、その他は手段であることが多いでしょう。

 ちなみに兌換券とは正貨に換えられる引換券のことです。外国人居住者や旅行者が外貨と両替する兌換券というのがありますが、ここではむしろ金貨や銀貨と交換ができる紙幣、つまり兌換紙幣というニュアンスではないでしょうか。

 朗らかさこそは金貨であり、他のいろいろなもの、富やら名声やらつまらない娯楽やらは金貨と交換できる兌換紙幣であり、所詮は紙切れにすぎない、というのでしょう。

 「ところで朗らかさにとって富ほど役に立たぬものはなく、健康ほど有益なものはない。」(『幸福について』)

 富が基本的な欲望を満たすことに役に立つにしても、すでに朗らかであるときに、富の果たす役割はとても少ないものです。それにたいして、健康が害われていれば、朗らかさや陽気さは失われてしまいます。健康こそが、朗らかさの基礎を提供します。

 そこでショーペンハウアーは健康法を簡潔に語ります。

 「無茶苦茶な無軌道ぶりや、激烈不快な感情の発動や、極端な、ないしはあまりに持続的な精神の緊張などをいっさい避け、毎日二時間ずつ屋外で活発な運動をし、冷水浴を大いにおこない、その他類似の養生法を励行する。日々適当な運動をしなければ、健康を維持することができない。」(『幸福について』)

 冷水浴はともかくとして、ここに書いてあることは現代の医学から見ても妥当な健康法です。肉体的な節制と平常心の維持。長時間の緊張を避け、リラックスすること。そして毎日の運動。これに栄養に関する配慮が加われば、ほぼ完璧です。

 こうした健康法の上に朗らかな性格を築けば、それ自身がもっとも大きな財宝となります。ですから、健康の価値をショーペンハウアーはとても高く見積もっています。

 しかし、直接的な幸福感、快楽の享受という点では、健康は大きな意味を持ちますが、自分の生活への評価からくる幸福感への影響という点では、健康の重要性は少し落ちます。今まで私が幸福に関する書籍を読んで集めた知見ではそうなっています。

 幸福といっても今現在感じる快適さと生活への満足度はやはり違います。健康が大きな意味を持つのはむしろ前者に対してです。このことは一応頭に入れておきましょう。そうでないと、健康でなければ不幸という単純な図式化をしてしまいます。

 とはいえ、快適でいたいのは当然です。そのために健康でありたいのも当然でしょう。次のショーペンハウアーの言葉は肝に銘じておきたいものです。

 「およそ愚行中の最大の愚行は、何事のためにもせよ、自己の健康を犠牲にすることである。利得のためにせよ、栄達のためにせよ、学問のためにせよ、名声のためにせよ、まして淫蕩や刹那的な享楽のために、健康を犠牲にすることである。むしろ健康よりもいっさいを軽く見なければならない。」(『幸福について』)

笑うショーペンハウアー
ラルフ・ヴィーナー
4560024006

スポンサーサイト

テーマ : 読んだ本。
ジャンル : 本・雑誌

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

Author:Cozy
情報処理系講師、フリーライター。減速生活者にしてB級遊民。

Twitterはcozyoffです。
TwilogはCozy(@cozyoff)です。

当ブログへのリンクはご自由に。

名言集および格言集
最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
FC2カウンター
ブログ内検索
RSSフィード
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。