スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

『徒然草』と『アリよさらば』 その2

E.Y 90’s
矢沢永吉
B00005GM1S


 人生は生滅する一瞬、一瞬の連続です。そのことに気づくことは仏道の目的とすることです。しかし、俗世に生きる人は何も知らず、大切に生きるべき一瞬に人々は群れをなし、角砂糖を求めています。

   人は生まれ
   いつかまた死んでく
   一瞬のその時間に
   群れをなす蟻よさらば
   蟻よさらば
            (『アリよさらば』作詞:秋元康、作曲:矢沢永吉)

 では、アリの群れに別れを告げて、自分はどこへ向かうのでしょうか。歌詞には「俺はごめんだぜ 一人で行くぜ この道のどこかで 倒れても 俺の人生さ」とあります。「この道」がどんな道であるとも書かれていません。が、独りで行く道であることは確かなようです。

 組織がいやだからと自由業や自営業に向かうのでしょうか。矢沢永吉のイメージを重ねれば、ひとりで成功という夢を追うことかもしれません。しかし、これは組織に属していないだけで、基本的にはアリと同じ志向です。

 あくせくする生き方を否定するという意味では、スローライフも候補になるでしょう。B級遊民もこの道です。

 この歌の下敷きとなっている徒然草がすすめるのは、仏道を求めることです。兼好は仏道を求めることを人間が死ぬまでにすべきことと考えていました。

 「生きることの意味を知ろうとしない者は、老いも死も恐れない。名声や利益に心奪われ、我が人生の終着が間近に迫っていることを、知ろうとしないからである。逆に、生きることの意味がわからない者は、老いと死が迫り来ることを、悲しみ恐れる。それは、この世が永久不変であると思い込んで、万物が流転変化するという無常の原理をわきまえないからである。」(第七十四段)

 ここでは「生きることの意味を知ろうとしない者」と「生きることの意味がわからない者」が描かれています。当然、そのほかに「生きる意味を知ろうとする者」と「生きる意味をわかっている者」がいるわけです。それは無常を知ろうとする仏教修行者とすでに知っている仏陀(とその前段階の人たち)です。

 兼好法師は、読者に対して、仏道を目指し、無常を知る道をすすめています。それは、やがて死が来ることを知りながら、無常の原理をわきまえて、平静でいる道です。

 もちろんそれは徒然草の話です。『アリよさらば』が徒然草と仏典を下敷きに書かれているにしても、この歌が仏道のススメであるとは思えません。歌を聴いた人が自分で答えを出すしかありません。

 あなたは『アリよさらば』を聴くと、どんな生き方をイメージするでしょうか。

 ちなみに「一人で行くぜ」に相当する部分が仏典にあります。歌詞としては詩の手法として「群れ」と「一人」を対比させているのでしょうが、私はどうしても以下の句を想起してしまいます。

 「他人に従属しない独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め」(『スッタ・ニパータ』四〇)


ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)
中村 元

ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)
ブッダの真理のことば・感興のことば (岩波文庫) ブッダ最後の旅―大パリニッバーナ経 (岩波文庫) ブッダ悪魔との対話―サンユッタ・ニカーヤ2 (岩波文庫 青 329-2) ブッダの人と思想 (NHKブックス) ブッダ神々との対話―サンユッタ・ニカーヤ1 (岩波文庫 青 329-1)
by G-Tools
スポンサーサイト

テーマ : 男性アーティスト
ジャンル : 音楽

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

Author:Cozy
情報処理系講師、フリーライター。減速生活者にしてB級遊民。

Twitterはcozyoffです。
TwilogはCozy(@cozyoff)です。

当ブログへのリンクはご自由に。

名言集および格言集
最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
FC2カウンター
ブログ内検索
RSSフィード
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。