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『青年ヒトラー』 まじめな画家青年の静かな狂気

 ウィーンで美術学校の受験に2度も失敗したあと、オーストラリアでの兵役逃れのために浮浪者のような生活をして身を隠しての生活をしてから、ヒトラーはミュンヘンに出ます。

 美術学校を出ていないヒトラーですが、ミュンヘンで絵を売って生計を立てることに成功します。このような形は本意ではないかもしれませんが、一応は画家になるという希望は叶えられたことになります。

 著者はこのときのヒトラーはその生活に不満で将来の展望がないと断定しています。勉強をして、美術学校に入り、建築画家として大建設会社に入るつもりだったが、具体的な努力はしていないというのが理由です。

 自活ができ、余裕も生まれて、大好きなドイツ民族の文化と芸術の都ミュンヘンで幸せな日々を送れるようになっていたとはいえ、学業を途中で放棄し、二十五歳になっても何の職業や資格も身につけていないアドルフの将来は、全く定まっていなかった。


 たしかに満足感はあまりなかったでしょう。自分がイメージしていた将来の姿とはほど遠いものであったことは間違いありません。

 ヒトラーはこの頃を振り返り、読書を通して彼の世界観が固まりつつあったと『わが闘争』に書いています。しかし、著者はこの点に懐疑的です。

多くの政治的な読書をしたといっても、どんな政治書や思想、哲学書を読んだのかについては殆んどわかっていない。少なくとも一定の書物を一貫して読破し、学んだという証言は全く残されていない。『わが闘争』上巻の六五頁から六八頁で述べている彼の読書方法で勉強したというのであれば、多くの政治、思想書から自分の考え方に合致するものを拾い集めるのが彼の読書であったといえる。したがって、すでに二十歳代半ばのミュンヘン時代に、アドルフの政治思想や反ユダヤ主義、闘争の世界観が固まり、形成されていたという『わが闘争』の長い記述は、彼の後々(一九二四年)の回想、脚色であって、当時の事実、実態ではないと理解すべきであろう。


 ヒトラーの読書法は本のすべてを読むのではなく必要なところを拾い読みをするものだったらしいのですが、こういう読書法は当然存在するし、効率良く知識を取り入れるにはいい方法です。著者はそれはまともな読書とは考えていないようですが、だからといってそれをヒトラーの証言を疑う理由に上げる必要はありません。

 読んだ本が明らかではないから証言が信頼できないというのも、いささか言いがかりに近い印象を与えます。

 著者の説にはヒトラーの回想をひっくりかえすほどの根拠はありませんが、その後のヒトラーが戦争を経験し、政治思想啓発指導者講習会を経て、思想が固まったのだという著者の説はそれはそれでもっともらしく聞こえます。しかし、それはせいぜいそういう可能性もあるという程度のことです。

 ミュンヘン時代の話はヒトラーの生涯の中でもなかなか興味深いものがあります。まじめで礼儀正しい画家の青年がひとり読書を重ねながら右翼思想を醸成していく様子は少なからぬ不気味さを感じさせます。しかし、このような生活から狂気が生まれたのだと考えるなら、それはやはり結果論にすぎないでしょう。


 つづく
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テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

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