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『人生、しょせん気晴らし』 ニヒリズムがうむ奇妙なユーモア

人生、しょせん気晴らし
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 中島義道著

 中島氏はパスカルにならって人生は気晴らしだといいます。では、気晴らしでないものとは何か。

それはただ一つ、各人が自分が投げ込まれている「たまたまたった一度だけ生まれさせられ、もうじき死んでいく、そして二度と生きることはない」という頭が痺れるほどの残酷な状況をしっかり見据えて-これだけを見据えて-生き抜くことだけです。



 たんに死が訪れることを残酷と言っているわけではないことに注目してください。中島氏は生まれてくることにもかなり残酷さを感じているようです。「もうじき死んでしまう」という表現には人生の短さを嘆く気持ちもこめられています。さらに人生が一回と点も不満のようです。

 中島氏はこうした人間の生死に関する状況を残酷だと考えそれから目を逸らす一切の行為は気晴らしだと考えています。

 しかし、私は同意できません。死が近づいていると考える人間は死を恐れ、死の意味を考え、こうした問題を真剣に考えるかもしれませんが、そうじゃないときに必死に考える理由などなにもありません。最初から設定されている人生の条件を考えることにどれほどの重要性があるのでしょう。

 それにこういう問題を考えても私はちっとも頭がしびれません。むしろ快いくらいです。死が怖くないという意味ではなく、どうせ死で終わる人生はむしろさっぱりしているとさえ思えます。

 そういうわけで私は中島氏の基本思想にはいつも距離を感じます。

 中島氏は「人生に意味はない」とよく書きます。これには同意しますが、氏の場合、「どうせ人間はじきに死んでしまうのだから」とやや否定的にいうのには共感しかねます。私はむしろ「どうせ死ぬ」ことに肯定的です。どちらかというと気が楽になります。どうせ死ぬんだから頑張んなくてもいいじゃないか、と。いろいろあるけど、どうせ死ねばちゃらになると。いつまでも続かないことはむしろ救いではないかという気がします。

 氏の場合は「じきに死ぬ」「もうすぐぐ死ぬ」と切迫感を伴っているところに特徴があります。子どもの頃から強く感じていたそうです。過度の神経質なのかもしれません。

 青年期に人生の意味について考え悩んでいた私は、ショーペンハウアーの「目的もなくただ生きようとする盲目的な意志」という言葉に触れて救われたことがあります。ああそうなんだ、目的はないんだということで、力が抜けて楽になりました。中島氏と私とではやはり性格的に違うところがあるのかもしれません。

 本書はいろいろな雑誌に発表された文章を集めたエッセイ集です。中島氏の文章はときにその意固地さが鼻についていやになりますが、今回はそれが弱くなかなか面白く読みました。ニヒリズムが奇妙な味のユーモアとなっています。氏の場合、思想よりも性格の問題が強烈で、それがあまり強く現れていない場合は、読みやすいようです。

 「公的な騒音」をテーマにした呉智英氏との対談での以下の証言を読むとわかりますが、氏の性格はかなり特異です。関わる人は大変そうです。

事実、私は半病人のような生活を送っています。完全防音のマンションを仕事部屋にして、いつも耳栓をし、それでも不安だから何万円もする特殊な防音装置を据え付け、騒音の溢れている外は怖いから、一歩も出ない。床屋にも行かなければ、銀行の振込みにも妹に代わりに行ってもらう。私にとって、聞きたくない音を無理やり聞かされるのは「暴力」なんです。




人生に生きる価値はない 差別感情の哲学 やっぱり、人はわかりあえない (PHP新書) 生きるのも死ぬのもイヤなきみへ (角川文庫) どうせ死んでしまうのに、なぜいま死んではいけないのか? (角川文庫)
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テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

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