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龍馬伝 第6回「松陰はどこだ?」 熱い、まことに熱い男であった

 吉田松陰(生瀬勝久)のあまりの熱さに笑い、そして涙してしまいました。

 配役を見たとき生瀬勝久では年をとりすぎているし、サラリーマンNEOでのコメディのイメージが強いので違和感がありました。登場してみるとやはり滑稽感があります。やはり隠しようもなく年をとっています。なにしろ実際の松陰はこのとき24歳。井伊直弼によって死刑にされた時ですら30歳ですから。

 しかし、演技を見ているうちに感動がこみ上げてきて、涙がつーとこぼれました。

 熱い、まことに熱い男です。

 このときのペリー提督の感想。

彼等は率直に、自分達の目的は合衆国につれて行って貰いたいのであり、世界を旅行し見聞し度という希望を合衆国で充たし度いのだと打ち明けた。(略)彼等は教養ある人達で、支那官語を流暢に形美しく書き、その態度も鄭重で極めて洗練されていた。提督は来艦の目的を知るや、自分は日本人をアメリカへつれて行き度いと思うこと切であるけれども、両人を迎えることが出来ないのは残念であると答えた。
     『ペルリ提督日本遠征記(四)』ホークス編、岩波文庫


 欧米人が当時の日本人に会った場合、驚かされることのひとつに、その挙措動作が洗練されていることがあげられます。龍馬伝ではなぜかそれが再現されません。演出家がそもそもそうした事実を知らないのかもしれませんし、知っていたとしても具体的な動作がわからないということもあるでしょう。

 龍馬伝では洗練された挙措が見られないばかりか、服装が汚いのには閉口です。弥太郎の家族の汚さは異常です。いかに貧しく服装が貧相でもある程度の清潔を保つことは可能です。日本人は下層のものでも清潔で礼儀正しいと多くの証言があります。

 この事件は、同国の厳重な法律を破らんとし、又知識を増すために生命をさえ賭そうとした二人の教養ある日本人の激しい知識欲を示すもので、興味深いことであった。日本人は疑いもなく研究好きの人民で、彼等の道徳的並びに知識的能力を増大する機会を喜んで迎えるのが常である。(略)日本人の志向がかくの如くであるとすれば、この興味ある国の前途は何と味のあるものであることか、又附言すれば、その前途は何と有望であることか!
     同前


 同じ東アジアであっても日本が清や朝鮮と大きく違う特性がここにあります。清、朝鮮は朱子学による自己中心性、他国蔑視が激しく、自らの蒙を啓くという発想を持ち得ませんでした。

 対して日本は新しい知識に飢えていました。攘夷といってもそれは過度の恐れから生まれたものにすぎず、底にあるのは、開かれた強い好奇心です。

 こうした特質は松陰にあってはとりわけ激しく、情報を集めることの大切さを「飛耳長目(ひじちょうもく)」という言葉で表しました。

 ペリーに乗船を拒否された吉田松陰は獄につながれた後、長州に戻り、松下村塾で桂小五郎、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山県有朋などを育てることになります。

 時代が大きく動くその種子が芽を出し始めます。


ペリー艦隊日本遠征記 上
加藤 祐三
4901221345


ペリー艦隊日本遠征記 下
加藤 祐三
4901221353


吉田松陰・留魂録 (講談社学術文庫)
古川 薫
4061595652

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テーマ : 龍馬伝
ジャンル : テレビ・ラジオ

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情報処理系講師、フリーライター。減速生活者にしてB級遊民。

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