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『教養主義の没落 変わりゆくエリート学生文化』 竹内洋 西欧文化への憧れなのか?

教養主義の没落―変わりゆくエリート学生文化 (中公新書)
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 日本における教養主義のあり方を考察しています。

 著者は「教養主義とは、歴史、哲学、文学などの人文系の書籍の読書を中心とした人格主義」と書いています。それは旧制高校を中心に展開されたハビトゥス(社会的に獲得された性向の総体)でもあるともいいます。

 こうした教養主義は都市と地方の文化格差が存在する状況において、地方出身者が都市の教養エリートに抱く憧れであり、西欧文化志向の表れだと著者は主張します。

 なぜそう言えるのか。

 総合雑誌や思想・哲学雑誌の読書傾向を教養主義の指標に使っていて、とりわけ教養的な思想・哲学雑誌をよく読むのは文学部の学生だから教養主義者は文学部に多い、といいます。さらに文学部の出身者には地方出身者が多く、その家庭は農民などの非ホワイトカラー層の子息が多いことを論拠にして、文化的に遅れた地域の子どもが西欧文化に憧れ、読書を通じ都市エリートに並び、また優位に立とうとするために教養を身につけるのだという論旨です。

 地方と都市の文化格差がなくなれば、憧れもなくなり、教養主義も没落します。また、学生が増えて、エリートではなくなってしまえば、学生はたんなるサラリーマン予備軍となります。将来彼は身分的特権を伴なう教養人になるのではなく、機能的知識人にならなければなりません。もはや教養主義など邪魔なだけというわけです。

 私の感じた感想と疑問を少し書いておきましょう。

 思想・哲学雑誌が文学部で比較的よく読まれたり、教養主義が文学部と親和性が高いのは当然でしょう。そもそも教養主義を、「歴史、哲学、文学などの人文系の書籍の読書を中心とした人格主義」と定義してしまえば、文学部でやることが教養です、と言っているようなものです。文学部が教養主義の「奥の院」となるのは当たり前です。そんなに重々しく語るほどのこともありません。

 むしろ問題は地方出身者はなぜ文学部に多いのか、という点です。それを文化的生活への憧れだけで説明できるのでしょうか。例えば、農家の子どもは社会の仕組をよく知らないから文学部へ進む、という説明も可能です。就職や職業生活に有利な学部を選ぶなら、文学部よりも法学部、経済学、理工学部などを選ぶでしょうが、農村出身者はそういう事情がよくわかっていないのかもしれません。ホワイトカラー層の親ならば、企業ではどんな学部の出身者が有利かどうかも知ってます。それが子どもの学部選択に影響することは当然あるはずです。また、農家の子息ならば家を継ぐことができます。就職を考慮しないで学部を選ぶ自由もあります。それも影響していないでしょうか。

 マルクス主義が学生の教養主義の旗印となったときに、地方出身者とマルクス主義は親和性が高いことを著者は意外な方法で説明していますが、ではその頃、地方出身者は経済学部でマルクス経済を勉強していたのでしょうか。その時期に地方出身者が文学部から経済学部へ選択をシフトしたのなら、なるほどとも思いますが、そういうデータはあげられていません。

 なかなか面白くはありますが、データ不足と説明の偏りがあるように思えます。引用部分についても都合のいい証言を集めたような印象も持ちます。

 しかし、amazonでの評価がとても高いし、なかなか興味深いことが書かれています。実際には私もそう否定的に読んだわけでもありません。そうかもしれないなあ、と思いながら読んでいます。教養や学生文化について関心があるのなら、読んで損はない一冊です。


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