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『夜と霧』 その2 未来を信じることは諸刃の剣

 本書の後半でフランクルは生き残った人はなぜ生き残ったのだろうかとの問いに答えようとします。

 フランクルの答えを平たく表現すれば、絶望しなかった人が生き残った、となります。

 しかし、彼の体験を読めば、そのたび重なる偶然、幸運の連続に驚きます。そして彼自身は保身のためにうまく立ち回りもしました。

 生き残った人は運がよかった。フランクルがこの事実を強調しなかったことはじつに不思議です。

 一方では、運がいいだけで生き残れなかったことも事実です。絶望して死んでいった人もいました。

 感情の消滅とは矛盾しますが、ささやかな美への感動、祈り、ユーモアについても彼は報告しています。絶望をしていない人には、わずかながらも人間的な心は失われてはいなかったのかもしれません。いや、逆にそういう気持ちを持っているからこそ、絶望しにくかったのかもしれません。

 そしてとりわけ重要なことは、未来を信じている間は人は絶望しなかったことでした。

自分の未来をもはや信じることができなくなった者は、収容所内で破綻した。そういう人は未来とともに精神的なよりどころを失い、精神的に自分を見捨て、身体的にも精神的にも破綻していったのだ。


 
 しかし、未来を信じることは諸刃の剣です。

 たとえば、自分が解放される予言を夢に見た人はその予言の期日が近づき、開放の可能性がないことに気づくと病魔に襲われ、予言された翌日に死にました。クリスマスには収容所が出られるのだとの希望を抱いていた人たちも多くいました。クリスマスが過ぎ、自分たちが開放されないことを知ると、彼らは絶望して死んでいきました。

 絶望をしないためには、裏切られることのないような形で未来を信じる必要があります。たとえば、収容所を出られたらなになにをしよう、というように。

 フランクルはしばしば収容所の体験を多くの聴衆の前で講演する自分の姿を想像しました。この方法は賢明です。いつまでに出られるという期限付きの空想ではなく、期限をきめていないからです。期限を限って、いつまでにここを出られると考えるのは危険です。実現しなければ絶望がやってくるからです。

 (もっともこの空想をもって未来を信じているといえるのかどうか。空想への逃避とも言えなくもありません)

 しかし、あまりにも長く収容所生活が続けば、未来を信じ続けるのも難しくなるのは当然でしょう。うまく自分をだまつづけることにも限界があります。

 (つづく)


夜と霧 新版
池田 香代子
4622039702

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テーマ : 最近読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

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Cozy

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情報処理系講師、フリーライター。減速生活者にしてB級遊民。

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