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『楽訓』 その2

養生訓 ほか (中公クラシックス)養生訓 ほか (中公クラシックス)
松田 道雄

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 楽訓のすすめる人間関係は仁を基本としています。

 人の憂苦を思いやって、人の妨げとなることをしてはいけない。つねに心にあわれみがあって、人を救い恵み、かりにも人を妨げ苦しめてはならぬ。われひとり楽しんで人を苦しめるのは天のにくむところであって、自粛しなければならぬ。人とともに楽しむのは天のよろこぶ理であって、真の楽しみである。


 人と和すれば楽しく、人と仲たがいすれば楽しくはありません。それは誰でも知っているし、当たり前のことですが、いかにも益軒の円満な性格を反映した考えです。仏教の慈悲喜捨の考えにも近いようです。

 しかし、世の中には頭にくることが多いものです。他人の行動に腹が立ち、心おだやかでいられないことがしばしばあります。

 人が悪く生まれついたのは、その人の不幸である。あわれんでやらねばならぬ。こだわってうらみとがめ、みずからを苦しめてはならぬ。人が悪いからといって、自分の心の楽しみを失うのは愚かである。


 他人に腹を立て責めることは、自分が不快になることですから損です。くだらないことで腹を立てるのはさらにバカらしい。プラグマティズム(功利主義)的な発想ですが、納得できます。ショーペンハウアーもいうように、朗らかな性格が一番です。腹を立てやすい人はそれだけ不幸です。わかっていても、人はなかなか怒りから抜けられませんが、いつも心がけておきたいことです。

 益軒は富貴と貧賤についても言及しています。

 君子は足ることを知って貪らぬゆえ、身は貧しくても心は富んでいる。古い言葉に「足る事を知る者は心富めり」とあるとおりだ。小人は身が富んでも心は貧しい。貪りが多く飽くことを知らぬからである。それゆえ、ただこの楽しみを知って貧賤を気にとめず、富貴を願わぬ計りごとをすべきである。老いては、いよいよ貪らず、足ることを知って貧賤を甘受するがよい。


 今あるものい満足をしていれば心はおだやかです。ない物を欲しがるところに苦しみが生まれます。他人の富貴をうらやむことも苦しみです。どこからが貧しくどこからが富んでいるのかが問題なのではなく、現状に対して自分がどう思うかが問題です。やはり少欲知足は生きる秘訣じゃないでしょうか。

 最近は歌の歌詞でもドラマでも夢だの願いだのを強調しすぎています。足ることを知ることの大切さが語られることがほとんどありません。古来からの聖人の道にもう少し思いをいたしたほうがよいと思うのですが、どうでしょう。
 
 益軒は分ということもいっています。

 分に安んじて、分外をうらやんではならぬ。分外を願う人は楽しみがなく、憂いが多い。禍はここからおこる。愚かというべきだ。


 あんまり分を強調されると違和感を覚えます。分によって自分を納得させる発想は、職業や社会階層が固定的だった江戸時代の人らしい発想といえるでしょう。

 益軒は他人の不幸について意外なことも書いています。

 世の中には自分ほども幸福でない人が多い。自分より下の人を見て足ることを知り、分に安んじ、外を願わなければ、憂いなく楽しみ多く、禍がない。また極貧の人も、人おのおの生まれついた分があることを知って、分に安んじて、天をうらやんだり人をとがめたりしてはならない。


 自分より不幸な人を見て、足ることを知るというのは、ちょっと残酷な気がしますが、たしかに人間にはそういうところがあります。ニュースで人の不幸見ると、自分でなくてよかったと安心します。もちろん益軒が言っているのは他人の不幸を楽しめということではありません。自分の状態に満足するひとつの方法としていっています。心穏やかであるための心のテクニックといったところです。

 もしわが身に不幸があったら、古今の大きな不幸にあった人のそれに、自分の不幸をくらべてみると、自分の不幸はそれほどでもなくなり、うらみがなくなるだろう。これはつたない計のように聞こえるだろうが、いにしえの賢者の教えである。これをやってみると効果のあることが多い。この計はすてがたい。


 今生きている人ではなく歴史上の人物などに対してなら、いやみがなくていいですね。

 ゴーギャンがこんなことをいっています。「苦しいときは、自分よりもっと不幸なゴッホという男がいたことを考える」。ゴッホにとって喜びの源泉ともなり苦しみの源泉ともなったゴーギャンがいうから深い言葉になります。

 私もゴッホのことを考えると涙が出そうになります。そしてゴッホ展で彼の最晩年の絵を見たときの強い印象が思い出されます。あの異様に生々しい絵が彼の不幸を生々しく伝えてくるようでした。

 益軒は不幸な人をあわれむべきだともいいます。

 余財があったら、こういう貧しい人にはほどこしをして救い、自分も楽しみ、人も楽しませるがよい。人間の現世の楽しみは、みずから善を楽しみ、人を救って善をするに越えた楽しみはない。


 益軒は慈善を人間の楽しみの最上においています。慈善活動をしたことがないのでよくわかりませんが、益軒は私欲から離れること、善をなすことをかなり重視していたことがわかります。

 彼は様々な研究をし、多くの本を残しました。医学だけではなく、興味は多様な分野に及んでいて、博物学的な関心があったとも言われます。それを本に残すことは、自分が楽しみ、読者を楽しませることでもあったのでしょう。しかし、慈善活動らしきことを実際にしていたのかどうかはわかりません。

 現代ならば、慈善とボランティア活動のすすめといったところでしょうか。社会制度の問題はそれとして、人が助け合うことが一番の楽しみなのだと益軒は考えたのです。なかなかそういう心境に達せそうにありませんが、覚えておきたいと思います。

(つづく)
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