『楽訓』 貝原益軒
松田 道雄

『貝原益軒 養生訓ほか』(中公クラシックス)は養生訓、楽訓、和俗童子訓の三作を収めています。
養生訓と和俗童子訓は収めている本は多いのですが、楽訓はあまり見かけません。中公クラシックスには楽訓が収められているので貴重です。私は以前より楽訓を読んで見たかったので、本書に楽訓があるのを知って、喜びました。
結論を言うと、なかなか面白いエッセイです。有名な養生訓よりも上ではないかと思います。
貝原益軒は儒教と仏教を取り込んだ上に、自分の人間観、健康観を加えて独自の思想に到達しました。楽訓では、生きることの楽しみについて語っていますが、彼のいう楽しみには仁と少欲知足が欠かせない条件となっています。
人は幼時から聖人の道を学び、わが心に天地より生まれつきもらった仁を行って、みずからも楽しみ、人にも仁をほどこして楽しませるがいい。仁とは何か。あわれみの心を本として、行い出したいろいろの善をすべて仁という。仁とは善の総称である。
仁を行えば楽しい。そのことがまず語られます。仁は単に道徳という意味ではありません。人間に備わる基本原理のような意味合いがあります。抽象的でちょっとわかりづらいかもしれませんが、今はただ漠然と捉えておきましょう。言わんとすることがだんだんわかってきます。
およそ人の心には、天地よりもらった至高の和の元気がある。これが人の生きている理である。草木が生長してやまぬように、つねにわが心のうちには天機が生きてやわらぎよろこぶ勢力の絶えないものがある。これを名づけて楽しみという。これは人の生理であるから、同時に仁の理である。
人間にはもともと元気があり、内面に楽しみがあるというのです。老いて衰えることも病も人間にはありますが、益軒はそのような人間の暗い面はあまり見ないようです。このあたりは仏教のシビアな現実認識と違います。原則的にポジティブです。普通の人が受け入れやすいのも益軒の特徴でしょう。
人の心には本来この楽しみがある。私欲の行いさえなければ、いつでも、どこででも楽しいはずだ。これが本性から流れ出た楽しみである。外に求めるのではない。わが耳・目・口・鼻・形の五官は外物に接して色を見、声を聞き、物を食い、香をかぎ、からだを動かす。この五つのわざを静かに欲少なく暮らせば、行きもかえりも楽しくないものはない。これは外物を楽しみの本としないからである。また外物にふれて、その歓喜の力によって楽しみがはじめて出てくるのでもない。本来人の心に生まれつきの楽しみがあるゆえ、外物にふれて、その助けを得て内にある楽しみがさかんになったのである。
内にある楽しみはきっかけを与えれば盛んになる。しかも欲を少なくして、私欲を離れていないとその楽しみは得られないのです。私たちはついつい強い刺激を求めがちですが、それは違うと益軒はいいます。外物の助けを得るだけでいいのです。そうすれば楽しみは内からわいてきます。
養生訓を読むと益軒は過度を嫌っています。飲食などでも「ほどほど」を養生の要件としています。過度は身を破ることになる。慎まなければならない、と益軒は警告します。楽しみを得ることも同様です。外物を過度に求めることは慎まなければなりません。
この後、益軒は人間関係や貧のあり方について、さらには自然の楽しみ、読書の楽しみを語ります。
(つづく)
老いてますます楽し―貝原益軒の極意 (新潮選書)
山崎 光夫

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