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『それから』の代助とギリシャ哲学

 代助の考えの中で注目すべきは「職業の為に汚されない内容の多い時間を有する、上等人種」という部分です。代助はありあまる自由時間を使って思索する生活は上等で有意義で、労働よりも上だと考えています。代助を有閑階級のひとりにすぎないといってしまえばそれだけですが、彼自身は自分のことを贅沢三昧の消費に現(うつつ)をぬかすただの有閑階級とは違うと思っていたようです。

 それにしてもいったいどこからこんな思想が出てくるのでしょうか。おそらく代助が学生時代に読んだ哲学書のせいではないかと私は推測しています。漱石はそんなことは書いていませんが、彼の考えには古代ギリシャ哲学の伝統的思考が反映されているように思えます。

 古代ギリシャの哲学には労働よりも哲学を上位におく傾向が強く見られます。額に汗して働くよりも、真理についての認識活動である観想(テオーリア)を人間らしいものと考え、賛美します。

 たとえば、アリストテレスは『ニコマコス倫理学』において、人間の本質は高度な精神活動にあるとして、実践するようにと勧めています。なぜなら観想の生活にこそ永続的な幸福があり、幸福こそ人間の求めるものだからだそうです。

 このような観想の生活は暇がなければできません。だからアリストテレスは「幸福は閑暇に存すると考えられる」と書いています。その反対の非閑暇的な活動としては軍事と政治をあげていますが、一般的な労働である生産活動など眼中にない点に注意してください。

 しかも観想の生活は軍事と政治に費やした残りの時間の暇つぶしではありません。アリストテレスは幸福な生活とは(その究極が観想の生活ですが)「真剣であり、遊びではない」といいます。このあたり代助の考えによく似ています。

 現代日本人の一般的な感覚からすれば、まず労働があり、その余暇として哲学書を読むなどの趣味の時間があると考えます。読書や思索などというものは、パチンコなどの暇つぶしよりは高尚ですが、たくさんある余暇活動(レジャー)のひとつにすぎません。アリストテレスの思想は順序が転倒しているように見えます。

 しかし、アリストテレスにはアリストテレスなりの理屈があります。いや、理屈というよりもそう考えるのが自然である理由があります。

 古代ギリシャは奴隷制の発達した社会でした。生産のおもな担い手は奴隷でした。奴隷の所有者である自由な市民は政治に参加し、戦争をします。肉体労働を中心にした生産活動はもっぱら奴隷の役割でした。都市部に関していえば、アテネの人口の三分の一は奴隷であり、召し使いなどの家内奴隷が中心でした。

 こうした社会制度が人々の思考に反映し、労働蔑視の傾向を生み、またその哲学にも反映し、アリストテレスの観想生活賛美の哲学へと結晶しました。アリストテレスは「奴隷は生きた財産である」(『政治学』)とも書いています。このような大哲学者も奴隷制により成り立つ社会制度を当然のことと考えていたとは驚きです。

 代助は奴隷制度に賛成しているわけではありません。日本での古代ギリシャ思想の紹介においては奴隷制を無視する傾向があるので、そんなことも考えてもいなかったでしょう。彼はただ親の財産で苦労なく暮らしていける境遇から古代ギリシャの労働蔑視の哲学を違和感なく受け入れることができたのです。

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