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『幸福について』 退屈をまぎらすには

 「自然が人間に具備させた能力の元来の使命は周囲から迫ってくる困難と闘うにある。けれども闘いが終われば、もはや用いられなくなった能力をもて余すようになる。そこで今度はその能力を遊びに用いること、すなわち何の目的もなしに用いることが必要になってくる。そうしなければ、たちまち人間の苦悩のもう一つの源泉すなわち退屈の擒(とりこ)になってしまうからだ。」(『幸福について』ショーペンハウアー、橋本文夫訳)

 動物ならば満腹した後は、無駄な体力をつかわないようにします。なるべく動かないようにして、休息を取ります。しかし、人間は違います。長期間の休息には耐えられません。何もすることがなければ退屈でしようがありません。

 そこで多くの人は外出しては人と会い、飲んだり食ったりするわけです。旅行、映画、遊園地、テレビなど退屈をまぎらわすのに、外部的な源泉に頼ることになります。

 「けだし幸福と享楽との外部的な源泉は、いずれもその性質上さっぱり当てにならない不確実なはかないものであって、偶然によって左右されるから、どんな有利な状況にあっても、とかく閉塞(へいそく)しがちなものだといえよう。いや、外部的な源泉はどう考えても、いつも手の届くところにあり合わせるというわけにはいかないから、こうしたことは避けがたい。まして年でも取れば、この種の源泉はまず一つ残らず涸れてしまう。」(『幸福について』)

 外部に頼ろうにもいつも確実に楽しみが得られるわけではありません。求めたものが得られるとは限りませんし、想像とは違うこともしばしばです。以前体験して楽しかったものもやがて飽きてしまいます。人間同士の付き合いはしばしば不愉快な場面もうみだします。

 外部的なものがすべてつまらないと思えませんし、すべて飽きるとも思いませんが、だんだんと刺激に慣れてくると、たいがいのものはたいして面白くないと感じるようになってくるとはいえるでしょう。自分の趣味性が高くなり、好みが複雑になるという享楽の能力の向上が満足できる水準を押し上げてしまうからです。

 ましてや老いが迫ってくれば、楽しみが減るのは当然です。衣食住そして性への欲望が減り、それにともなって享楽への動機が弱まります。若い人と張り合う力もなくなります。

 「人間世界のどこへ行っても、たいしたものは得られない。人間世界には困窮と苦痛が充ち満ちている。おまけに大抵は邪悪が人間世界の支配権を握り、愚昧が大きな発言権をもっているとしたものだ。」

 極端な意見ですが、世界を見れば見るほど、経験すればするほど、そのように思えてきます。

 だらこそ、人間は内部的な源泉により楽しむことができればこれにまさる幸せはないと、ショーペンハウアーはいいます。

 「誰でも自分自身にとっていちばんよいもの、いちばん大事なものは自分自身であり、いちばんよこと、いちばん大事なことをしてくれるのも自分自身である。このいちばんよくて大事なものが多ければ多いほど、したがって享楽の源泉が自分自身の内に得られれば得られるほど、それだけ幸福になる」(『幸福について』)

 そうかもしれませんが、漠然としています。ショーペンハウアーの考える内部的源泉による幸福とはなんでしょう。

 ショーペンハウアーは人間の能力を三つの生理的根本能力に基づくと考えました。享楽の源泉もそれに基づいて三種類あるといいます。次回はそれをみていくことにしましょう。

幸福について―人生論 (新潮文庫)
ショーペンハウアー
4102033017


退屈論 (シリーズ生きる思想)
小谷野 敦
4335000510


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