スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

『徒然草』 遁世のススメ

徒然草・方丈記 (学研M文庫)
山崎 正和
4059020516


 兼好法師が遁世の理由と決心を述べる文章があります。ここに書かれていることは理由の一部にすぎないでしょうが、貴重な証言なので引用してみたいと思います。

 引用元は『徒然草・方丈記』(山崎正和訳)です。この本は学研の日本の古典シリーズから文庫化されたものです。さすが山崎正和。文章が読みやすく、わかりやすい現代語訳です。ただし、原文はついていません。(以前紹介した角川のビギナーズクラシックにはこの段はありません)

 「人づきあいの儀礼というものは、どれひとつをとっても、省きがたいものばかりである。世間をないがしろにできないというので、これを欠かさずやろうとしていれば、やりたいことは多く、からだもつらく、心が休まる暇もなくて、一生は雑事の些細な義理に忙殺されて、むなしく終わってしまうであろう。」(第百十二段)

 兼好は仕事上のつきあい、世間の付き合いには相当うんざりしていた様子です。とりわけ雑事に時間を取られることに我慢がならなかったようです。

 注目すべきは「やりたいことは多く、からだもつらく、心が休まる暇もなくて」の部分です。

 兼好の自分のやりたいことを中心に生活を組み立てて、他のことに煩わされるのはいやだったのです。このことのわがままであることも十分承知していましたが、それでも、自分がやりたいことを優先させて生きたいと痛切に感じていました。

 兼好は、体は頑強ではなかったのかもしれません。世の中にはやたら健康で活動的な人がいます。エネルギッシュで疲れを知らない人は、がつがつと欲望を追求して生きています。兼好はそういうタイプの人間ではありません。頭脳派であり文人です。そして、求道者です。とても世間のあれこれに付き合いながら、さらに自分のやりたいことをするだけの体力はありません。

 頑健で元気のいい人たちとの付き合いにも辟易(へきえき)とするところもあったはずです。友人にふさわしくない人として、無病強健な人をあげているのも、そのせいでしょう。

 「友とするのに不適当な人間が、七種類ある。一つには、高貴な人。二つには、若い人。三つには、無病強健な人。四つには、酒好きの人。五つには、勇猛の武士。六つには、嘘をつく人、七つには、欲の深い人」(第百十七段)

 高貴な人や嘘つきはともかくとして、浮かれて騒々しい人や、猛々しく自分を主張するタイプはとにかくいやだったようです。

 このような人たちとの付き合いは当然として、そうでなくても世間とのつきあいは心も休まらないと感じていました。

 好きなこともあまりできずに、疲れるだけのこんな生活をいつまで続ければいいのだろうと、懐疑の念が兼好の心に湧き起こっていたでしょう。

 「古人も、日は暮れて道は遠い。わが生涯はすでにつまずいてばかりだ、といっている。今や、人の世のかかわりあいはすべて捨て去るべきである。信義をも守らず、礼儀をも心にかけないことにしよう。この気持ちの理解できない人は、私をものに狂っているともいうがよい。正気を失い、人情をわきまえないとも思うがよい。そしられても苦しむまいし、逆にまた、ほめられても耳を傾けないことにしよう。」(第百十二段)

 古人も…といっている、とあるのは原文の「日暮れ、塗(みち)遠し。吾が生(しょう)既に蹉跎(さだ)たり」が唐の時代の書『白居易傳』からの引用であるからです。

 私なりに解釈すると「年をとってしまったのに、やるべきことはたくさん残っている。私はすでに人生の時機を逸してしまった。」という意味になります。

 広辞苑によると蹉跎には「つまづくこと」「ぐずぐずして時機を失うこと」「不遇で志を得ぬさま」の三つの意味がありますが、文章として意味が通るのは二番めです。なぜか広辞苑は三番めの意味で徒然草を例に挙げていますが、この段の前後の関係からは不適切です。もうしわけありませんが、山崎訳も意味が通りません。

 もう時間がないので、すべてのかかわりを捨ててしまうべきときなのです。今までぐずぐずして時機を逸したので、遁世するしかその時間をとりもどす方法はありません。

 それにしても「諸縁を放下すべき時なり」という原文は激しく、印象に残ります。原文を引用しておきましょう。

 「日暮れ、塗遠し。吾が生既に蹉跎たり。諸縁を放下(ほうげ)すべき時なり。信をも守らじ、礼儀をも思はじ。この心をも得ざらん人は、物狂ひとも言へ、うつつなし、情なしとも思へ。毀(そし)るとも苦しまじ。誉(ほ)むとも聞き入じれ。」(第百十二段)

 これほど激烈な文章は、徒然草の他の段には見られません。どうしてもそうせずにはいられなかった兼好の心境が生々しく反映しているに違いありません。普通の生活から隠遁閑居の生活へ切り替えるには、これほどに強い意志が必要なのかもしれません。

 兼好の場合、上皇の死がきっかけで出家したといわれていますが、はっきりしません。他になにかよくないことが起こったのかもしれません。しかし、危機は好機でもあります。どんなきっかけであれ、それは自分にとって諸縁を放下すべき時かもしれません。

スポンサーサイト

テーマ : 読んだ本。
ジャンル : 本・雑誌

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

遁世の決意

大変興味深く拝見しました。
体力もあり、感性も豊かな若いうちにこそ、やりたいことだけを行う生活を送る意義は大きいのかもしれませんね。
兼好でさえも遁世するに際し、ここまで強烈なメッセージを発するのですから、現代で遁世を実現するにはまた強固な決意が必要でしょうね。
プロフィール

Author:Cozy
情報処理系講師、フリーライター。減速生活者にしてB級遊民。

Twitterはcozyoffです。
TwilogはCozy(@cozyoff)です。

当ブログへのリンクはご自由に。

名言集および格言集
最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
FC2カウンター
ブログ内検索
RSSフィード
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。