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若者がモノを買わない要因の考察と消費を促す方法論

若者がモノを買わない理由--インターネット依存、低い上昇志向(livedoorニュース)

若者層のマーケティング調査機関であるM1・F1総研は8月28日、首都圏在住のM1(男性20歳~34歳)、
F1(女性20歳~34歳)層の消費行動に関する調査レポート「若者がモノを買わない要因の考察と消費を促す方法論」を発表した。


 このレポートの背景には次のような状況があります。

「34歳以下単身世帯における1世帯あたり1ヶ月の消費支出が減少している」
「『今の生活を楽しむためにお金を使うほうだ』と考える人の割合が減少している」
「20代の貯蓄率は増加している」。

 つまり若い世代はお金を貯めて使わないということです。

 若い世代がなぜお金を使わないのかを分析し、いかにお金を使わせるかを考えたのが「若者がモノを買わない要因の考察と消費を促す方法論」(PDFファイル)です。

 具体的に中身を見てみましょう。

・将来に対する不安→将来に不安を抱いているM1、F1は、貯蓄志向が高い。
したがって消費力は低い。


 給料が増えない状況、年金問題、雇用の不安定などの問題がありますから将来に不安を抱えるのは当然です。将来の心配がなくならない限り貯蓄を重視する傾向は変わらないかもしれません。

・低い上昇志向→上昇志向を持たないM1、F1は、いいモノを欲しいという欲求が低い。
したがって消費力は低い。


 上昇志向が物質的な豊かさをめざすことであるなら、そうした動機付けの弱い人が増えていることは、先進国に最近よく見られる傾向です。

 先進国の豊かさの中で育った人は、物質的な豊かさが必ずしも幸福とは結びつかないことに気づきました。それよりも自由な時間やリラックスした生き方を求める人が増えています。いわゆるダウンシフトやスローライフの流れです。

 市場的には危機感を感じるかもしれませんが、金や物よりも時間を大事にする世代の登場は喜ばしいことです。

・固定化された人間関係→交友関係の開拓意欲が低いM1、F1は、他人に触発されてモノを買う経験が少ない。
したがって消費力は低い。


 他人に触発されてモノを買う必要なんかありませんし、人並みであることや見栄とかが動機であるなら、それは無駄な欲望とこうものです。自分が必要だと思うものを、自分が納得して買うのが、あるべき消費スタイルです。


・漠然とした結婚意識→結婚想定時期が遠いM1、F1は、今やりたいことをやっておきたい意識が低い。
したがって消費力は低い。


 結婚をする前にこれをやっておこう、これを買っておこう、という人が多いようです。私はしりませんでしたが、なるほどと思いました。いつごろまでに結婚したいというはっきりした希望を持たない人には、こうした消費の動機がありません。いつでもできることは、今やる必要もないわけです。

 そのこと自体をいいとも悪いとも思いませんが、晩婚化も進んでいますから、今後もこうした動機での消費行動は減っていくのでしょう。 

 レポートではインターネットの悪影響についてもふれています。

インターネット利用時間が長いM1は、情報が多すぎて調べるのが面倒になり、購入を中止した経験が多い。
したがって消費力は低い。

インターネット利用時間が長い独身F1は、ネットで調べている間に、何を買ってよいかわからなくなった経験が多い。
したがって消費力は総じて低い傾向。


 情報も多いというのは、選択肢が多いことも含まれているはずです。「選択肢が多いとかえって人は選べなくなる」なんてことをテレビのCMでもいってますから、そうした現象のひとつなのでしょう。

 確かに調べているうちにどうでもよくなってくることはありますね。

 私もiPod用のヘッドフォンが壊れてしまい、新しいものを購入しようと情報を集めていました。しかし、あれこれ情報を集めているうちにだんだんどれがいいのかわからなくなってくるし、そのうち決定的なものが出てくるまで待ってみようという気になってしまいました。

 現在は予備として使っていたもので間に合わせています。

 さて、これらの消費の低下に対する対策としてレポートはどういっているのでしょうか。(続く)
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テーマ : マーケティング
ジャンル : ビジネス

山城新伍が特別養護老人ホーム

 今週の週刊文春にインタビュー記事が出ていました。テレビタレントの山城新伍さんが特別養護老人ホームに入所しているそうです。

 奥さんとは離婚して、子どもはそのとき籍を抜いて縁を切り、独り暮らしをしていたそうです。糖尿病で車椅子の生活となり、独り暮らしを続けることも難しくなって、特別養護老人ホームの空きができるまで、入院に入院して待っていたのだとか。現在は特別養護老人ホームの個室に住んでいるそうです。

 ひとつ教訓となるのは、身寄りがなく独り暮らしでいると特養ホームに入りやすいということです。以前、記事にも書いたように、家族がいるよりは有利です。(独身者は公的援助を受けやすい

 しかも驚くことに山城さんはまだ69歳です。そんなに早くから入所できるのですね。それに人気のある人でしたから、財産もかなりありそうに思えます。それでも入所できるのでしょうかね。それとも資産の多くが失われてしまったのか。もちろん実際にどんな状況かは不明です。

 家族を持っていた人がひとりとなってしまったのですから、おそらく寂しいはずです。最初から一人身の人なら特養ホーム入所は「ありがたい」ことでしょうが、それとはだいぶ違った心境でいることでしょう。
 
 今後さらに老人が増えた場合、そう簡単には公立の老人ホームには入れなくなるでしょう。今でも順番待ちで大変ですから。本人は無念かもしれませんが、私たちから見るとこういう場所がみつかった山城さんは運がいいですよ。

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特別養護老人ホーム (生活人新書)
鈴木 栄

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特養ホームが変わる、特養ホームを変える―高齢社会の手引き (高齢社会の手引き) 特別養護老人ホームにおける福祉文化の実践 (介護福祉ハンドブック) 出口のない家―警備員が見た特別養護老人ホームの夜と昼 介護―現場からの検証 (岩波新書 新赤版 1132)
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若者レジャー「貧困化」

若者レジャー「貧困化」遊びの種類減少、支出に格差も

 若者の余暇の過ごし方が「貧困化」していることが、社会経済生産性本部の08年版「レジャー白書」で分かった。余暇の楽しみ方の種類が、10代は10年間で3割近く減った。生産性本部は、将来のレジャー産業の市場規模を縮小させる可能性があると指摘している。
(略)
 10代の若者が、1年間に1回以上経験した余暇活動は15.6種類。10年前より6種類減った。減少傾向は全世代でみられたが、10代~30代が顕著だった。


 遅くなりましたが、8月16日のニュースからの引用です。

 若者のレジャーの種類が減っていて、それがレジャー産業を縮小させるのではないかという危惧があるといいます。

 そもそも少子化が進めばレジャー産業にかかわらずほとんどの産業が縮小傾向になるでしょうから、レジャーだけを問題視する必要はないでしょう。あくまでも「レジャー白書」的視点です。

 白書は、若者が携帯電話のメールやインターネットに時間を割き、「余暇スタイルに大きな変化が生じている」と分析。賃金の抑制によって可処分所得が増えず、親が子に様々な経験をさせていないことも、余暇の過ごし方の「貧困化」を招いた一因と指摘している。


 可処分所得の減少が若者を安いレジャーに向かわせています。いわゆるワークングプア、ロストジェネレーション問題などが背景にはありそうです。白書では「格差が広がってきている状況がうかがわれる」としています。

 しかし、お金をかけないと楽しめない、遊べないという状況も一種の貧困ではないでしょうか。あえていえば文化の貧困です。「余暇の過ごし方の「貧困化」」という表現には、「余暇はお金をかけて遊ぶものですよ」という考えを前提としておきながら、反省のない厚顔さがあります。

 一方、07年は06年と比べると、国内観光旅行が伸び悩んだ。動物園、遊園地など近場の行楽は人気で、新型ハードが好調だったテレビゲームをして過ごす人も増えた。


 図書館で借りた本とCDを大いに楽しんでいる自分は、レジャー産業にはほとんど貢献していません。ちょっと前は都内を散歩しながら写真を撮るのが趣味でした。あとはせいぜい美術館やら博物館でお金を使うくらいです。

 ショーペンハウアーのいうように内面の貧困が外部的な刺激を求めさせるわけです。レジャーにお金をかけないのなら、内面の富を積むような趣味を持つ方向に進んでもいいのじゃないかと思います。テレビゲームというのはちょっとさみしいですね。

 蛇足ながら、

 レジャーにお金をかける必要はないと私は思っていますが、だから貧困問題を放置していいわけではありません。それとこれとは別問題。低賃金で保証もなく働かされる人が少なくなるように政治は動いて欲しいものです。

テーマ : 気になるニュース
ジャンル : ニュース

女性は結婚しなくても幸せ

「女性は結婚しなくても幸せ」55%…読売調査

「女性は結婚しなくても幸せな人生をおくることができる」と思う人は55%で、「そうは思わない」は39%にとどまることが、読売新聞社の年間連続調査「日本人」でわかった。 YOMIURI ONLINE



 この数字、30年前の調査に比べると逆転しているそうです。つまり「女性は結婚してこそ幸せ」が「女性は結婚しなくても幸せ」に変化したことになります。

 女性の社会進出のおかげで自立した女性が増えたことの反映でしょう。女性の生き方の選択肢が増えたことでもありますから、私は結構なことだと思います。

 ただし、「人は結婚した方がよい」と思う人は65%もいます。この数字は近年増えていますが、理由はわかっていません。

 まとめると「できれば結婚したほうがいいが、しなくても幸せにはなれる」ということになります。ちょっと前に「負け犬」なんて言葉が流行りましたが、ほとんどの人は未婚の女性を負け犬とは思ってはいません。しかし、未婚はいやだ、ということです。

 この調査では、結婚したほうがより幸せと思われているのか、幸せとは別に結婚した方がいいと思っているのかは不明ですが、とりあえずは、未婚でいることの評価がアップした。結婚志向が強まっているにもかかわらず、未婚を許容する傾向にある、といったところでしょうか。

 もしかすると女性の意識の中でダブルスタンダードが進んでいるのかもしれません。公的には未婚という生き方も認めるといいながら、でも自分は結婚したい、と。とりわけ若い女性の複雑が心境が隠されているような気がします。

 詳しく分析にするには、もう少し突っ込んだ調査が必要ですね。

テーマ : 恋愛・結婚について思うこと
ジャンル : 結婚・家庭生活

『「自分」から自由になる沈黙入門』 小池龍之介

「自分」から自由になる沈黙入門
小池 龍之介
4344014782


 著者はかつてイエデカフェというカフェ+オテラを運営していたお坊さん。Webサイトでも知られているようです。

 仏教をベースに自我を肥大させずに生きていく方法をわかりやすく書いています。宗派はわかりませんが、比較的古い仏典の知識を多く紹介しているようです。属する宗派とは別に個人的に勉強されているのかもしれません。

 怒りを意味する瞋恚(しんい、しんに)に「イヤイヤ」とルビをふるなど、仏教用語に慣れない人向けにくだけた文体で書かれているのが特徴です。しかし、文末に古語や候文などを交えたりして、あえて読みにくくしている文体は一貫性がなく、意図が不明です。

 仏教というと大変な修行があって、実践しにくいものですが、小池氏は身体や心をじっと観察する方法をすすめています。スマナサーラ長老によって日本でもよく知られている上座部仏教とは違い、感覚を味わう、じっくり実感をするというやり方です。ヴィパッサナー瞑想のように言葉で実況するというやり方とはちょっと違います。

 じつはこの感覚を味わう方法は、フォーカシングという心理学の手法です。小池氏の教える方法ははたして仏教のものなのか心理学からの借り物なのかは不明です。ですから、これが悟りに至る道なのかたんに心理療法の範囲内にとどまるのかは判断できません。

 そういう意味ではいささか際物じみていますが、仏教的心理療法的なニュアンスで受けとめておけばいいでしょう。別に悪いことは書いていません。むしろ、ここを入り口に仏教の世界に入るのには、おすすめの一冊ともいえます。

 タイトルにある沈黙入門ですが、人の話など内容的にたいしたことはない、自分の話も自からの慢を増やすばかり、だから話をしないのが一番という姿勢から来ています。

 仏教ではおしゃべりを楽しむのは悪いこととされています。つまらないおしゃべりをするために友だちと交流するのはやめたいと思っている人には心強い思想です。自らの孤独に正当性を得たいと思っている人には慰めとなるでしょう。

 今、ちょっとネットで調べてみたら、このような本人の言葉がありました。

 「拙僧は一応、特定の宗派に所属している僧侶ではありますが、宗派の枠にとらわれることなく、広く仏道を実践し、伝えてゆきたいと考えております。」

 日本で僧籍を得るには日本仏教の宗派に属する必要があるのかもしれませんが、その人が真摯であればあるほど、日本仏教の既存宗派には疑問を持つものです。これから仏教を勉強したいと思っている人は、日本仏教の宗派にとらわれないように気をつけてください。

「自分」から自由になる沈黙入門
小池 龍之介

「自分」から自由になる沈黙入門
十牛図入門―「新しい自分」への道 (幻冬舎新書 (よ-2-1)) 「感情の整理」が上手い人下手な人―感情コントロールで自分が変わる (WIDE SHINSHO) 健康川柳―一日一句医者いらず ほめことば練習帳 (幻冬舎新書 や 4-1) 持たない暮らし (中経の文庫 し 3-1)
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『健腸生活のススメ』 辨野義己

健腸生活のススメ (日経プレミアシリーズ 11)
辨野 義己
4532260116


 細菌やウィルスの発見が続いた時代には病気の原因はすべて細菌やウィルスであり、いずれ病気の原因は解明されると思われていたようです。もちろん、そんなことにはならなかったのですが、このところガンをはじめいろいろな病気の原因に再び細菌の影響があることがわかってきました。

 本書は腸内細菌の影響が健康に大きく作用していることを説明し、どうすれば腸内の最近バランスをいい状態に保てるかを解説しています。やはり細菌、ウィルスなどが人間に及ぼす影響はそうとうなもののようです。

 たとえば腸内細菌と関連があるとわかっている、あるいは疑われている病気は、大腸がんをはじめとする各種のがん、肥満、糖尿病、花粉症、アトピー性皮膚炎、認知症、自閉症などなど。はっきり解明されているわけではありませんが、自閉症と腸内細菌が関係があるなんて驚きです。

 腸内細菌のバランスをよくするには、ヨーグルトなどでビフィズス菌や乳酸菌をとりこむこと。野菜や食物繊維を多くとり、肉を食べないこと。

 便が体内に長く留まると腐敗して身体に悪い影響を与えるので排便をしやすくするためにも肉食をやめて野菜、食物線維を食事で多く取ることが望ましいのです。

 じつは、私もヨーグルトを毎日食べるようになって一年数ヶ月たちます。一番よく食べるのは明治ブルガリアヨーグルト(整腸作用のあるLB81乳酸菌入り)です。おかげで便秘がほとんどなくなりました。ほかにも飲みすぎていた紅茶を少なくして麦茶を飲むようにしたこと、腹筋運動をしていることなども作用していると思われます。

 そもそも人間にかぎらず多くの動物は微生物と協力し合って生きているわけです。そこを無視しては健康はありえないのでしょう。のんびり気楽に生きていくためにも腸内環境を整えましょう。

 花粉症にはBB536入りのヨーグルトが利くそうです。悩まれている方はお試しを。

病気にならない生き方で、なる病気―機能性ヨーグルトが病気を防ぐ!
辨野 義己

病気にならない生き方で、なる病気―機能性ヨーグルトが病気を防ぐ!
ビフィズス菌パワーで改善する花粉症 腸内環境学のすすめ (岩波科学ライブラリー 143) ケフィアのすべてがわかる本―ロシア・コーカサス地方の奇跡の発酵乳 まるごと全部”ケフィア”の本 (エイムック 1422) (エイムック 1422) まだあった!カスピ海ヨーグルトのこんな使い方、作り方 健腸生活のススメ (日経プレミアシリーズ 11)
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『江戸の道楽』 棚橋正博

江戸の道楽 (講談社選書メチエ)
棚橋 正博
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 江戸時代に流行した道楽を園芸、釣り、学問、文芸(戯作)に絞って紹介しています。面白いだけではなく、内容は詳しく、関連する話題も豊富、研究的価値もある一冊です。

 徳川の平和があったからこそ、庶民は豊かになり、道楽に没頭することもできました。平和こそ文化の基盤ということでしょう。(文明は戦争が生むのかもしれませんが)

 江戸時代は朝顔や菊がはやっていたそうです。「菊合わせ」などの品評会で勝った菊にはかなりの値段がついて取引されていました。趣味を超えて実益の意味もありました。朝顔市や菊の品評会が今でも続いているのはご存知の通りです。そういえば、歌麿の浮世絵には朝顔と遊女が描かれているのもありました。

 釣りが人気があったことは落語「野ざらし」でも有名です。将軍から庶民まで人気のあった釣りですが、仏教で禁じる殺生であるだけに背景は複雑のようです。殺生を悔やんで釣りをやめる人もいたとか。また、釣りに行くフリをして吉原に繰り出すひともいたそうです。たしかそれを題材にした川柳もあったはずですが、失念。

 学問道楽として紹介されているのは主に理系の学問です。しかし、「自然科学の分野は町人の片手間的な学問道楽ではなかなか手に負えないところがある。だからどうしても、禄を食んでの専門職の学問となっていた」とのことです。

 例外的な存在に伊能忠敬がいます。彼の場合、若い頃に商売で稼いだお金で隠居後に測量に情熱を注いだわけですが、年を取ってから私財をなげうち、このようなことに没頭する動機はどこからでてくるのでしょう。若い頃から学問好きであったとはいえ、ものすごい情熱です。

 文芸では、狂歌の流行、何人かの戯作者たちを紹介していますが、印象深いのは「むすびに」で紙面を割いている神沢杜口(かんざわとこう)です。

 若い頃から俳諧に親しんだ杜口は四十歳代で隠居した後に三十年をかけて、随筆『翁草』二百巻を書いています。「辞世とはすなわち迷いただ死なん」の句が有名です。なかなかの心境に達していたようです。八十六歳で没。

 森鴎外の『高瀬舟』は、『翁草』の中の「流人の話」を下敷きに書かれています。杜口は見聞したことや調べたことを書き残していまして、この「流人の話」も実話として記しています。

 現代語訳で読んでみますと、短いながらもじつに奥深い話で、文章は簡潔、無駄な装飾はなく、達意の名文で書かれています。

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『「好き」をシゴトにした人』

「好き」をシゴトにした人―WORK FILES 01‐59
大岡 まさひ
4391129604


 フリーランスや自営業を中心に自分が好きなことをそのまま仕事にしてしまった人たちを紹介しています。

 登場するのは59人。写真と概略の次にインタビュー記事で構成されていて、各記事はコンパクト。どこから読んでもいい作りになっています。

 カフェやレストランなどの飲食店、服飾関係のお店、中古業などありがちなショップも多いけれど、不思議な商売もちらほら。

 面白いところでは、「成り行き、そして独学で始めたフリーランスの「模型製作」という仕事」、「20才代半ばで相談を受けたラーメン屋を見事、再生 そのときから始まったラーメンコンサルタントという仕事、生き方」、「誰もが持っているはずの本来の機能を呼び戻し心と身体をラクにする方法 ラクになる、生き方」、「電車から見てもらう”屋上ライブ”でCDメジャーデビュー」、「迷いのある人 宗教に興味のある人が立ち寄る「坊主バー」」、「夜景のあれこれをコンテンツとしてとらえて評論する」など。

 こんな商売もあるのかという驚きもあるけれど、こんなものでも仕事にできてしまう日本という国の懐の深さを感じます。

 自分がやっていること好きなことがそのまま仕事になっているケースもあれば、他の仕事と組み合わせることで成立させるケースもあります。好きなこととカフェやバーを組みあせると意外と簡単に新しい商売ができてしまうかもしれません。

 まっとうな商売ではなく、オリジナルな商売を考えている人は勇気付けられるでしょう。

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『知的熟年ライフの作り方』 小山慶太

知的熟年ライフの作り方 (講談社現代新書)
小山 慶太
4061495291


 筆者はたっぷり時間を持っている引退後の熟年向けに知的生活をすすめています。その知的生活も学問道楽というべきもので、素人研究者を目指したらどうかと提案しています。

 その先人として、レイリー卿、ダーウィン、ウォルター・ロスチャイルド、蜂須賀正、渋沢敬三など世界の知的ディレッタントたちを紹介しています。紹介されているのは、働かなくてもいいような金もちが多いうえに、若いうちから研究生活をしている人もいて、あまり参考にはなりません。雑学的な面白さはありますが。

 筆者は、ライフワークもすすめています。研究でもそうですが、こういうことは、同じテーマを長期間にわたってしつこく追及できる人でないと無理です。どうやら本書が想定している読者は、そうとうに粘りづいよい人間のようです。飽きやすい人間にはちょっとむずかしい知的生活です。

 最後に、本書の肝の部分を紹介しておきましょう。

 「生涯研究に浸りきり、知的道楽三昧の人生を享受するための要諦」は次の3つだそうです。

 「第一に、自分に適した、オリジナルな研究テーマを見つけることである。」 

 「第二は、テーマが見つかったら、次は同好の士を募り、サークルを作ること、あるいは自分のテーマに関係した会に参加してみるのである。」

 「第三に、(略)情報、知識の受け手の側にいつまでも留まらず、自らがその発信者となり研究の成果を発表できる場を作ることが必要である。」

 敷居が高いことばかりが書いてありますが、あるテーマのブログを作ることや掲示板などに参加することで、似たようなことは可能です。研究生活は無理でも、関心のあることをテーマにネットワークでいろいろやってみることなら、すぐにでもできます。そう思って読めば、いろいろ参考になりそうです。

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『山頭火のぐうたら日記』 俳句ところり往生

山頭火のぐうたら日記
種田 山頭火
4394902614


 どうしようもない自分はそのままとして、愚は愚のまま生きるとして、山頭火には念願というべきものが生まれていました。

 「私の念願は二つ、ただ二つある、ほんとうの自分の句を作りあげることがその一つ、そして他の一つはころり往生である、病んでも長く苦しまないで、あれこれと厄介をかけないで、めでたい死を遂げたいのである(私は心臓麻痺か脳溢血で無造作に往生すると信じている)。」(日記・昭和十四年九月二日)

 自分の句を作ること、ころり往生すること。この二つが残された願いでした。しかし、普通に考えれば、それらはあまりに困難な願いです。

 ほんとうの自分の文学作品を作るということは並みの人間にできることではありません。とはいえ、この時すでにある程度自分の句の世界を確立している山頭火です。よりよい句、ほんとうの自分の句を願ってもなんら不思議はありません。実際、彼は俳句の世界に名を残しました。

 山頭火はまさには句を作っていき、そして死にました。そういう意味でも彼にとって俳句を作ることは自然であり、彼の生きる意味そのものだったのでしょう。

 「飲み食いしないでも句を作ることは怠らない、いいかえると、腹は空っていても句は出来るのである、水の流れるように句心は湧いて溢れるのだ、私にあっては、生きるとは句作することである、句作即生活だ。」(日記・昭和十四年九月二日)

 もう一方のころり往生はどうでしょう。自殺以外で自分の死因を選ぶこともできません。一般人からすると、酒をやめるほうが簡単なことに思えます。しかし、彼にはそれはできません。放浪もやめられない。旅にあってせめて苦しまずに死にたい。ある意味、甘え、希望的観測にすぎません。
  
 「人間の死所を得ることは難いかな、私は希う、獣のように、鳥のように、せめて虫のようにでも死にたい、私が旅するのは死場所を探すのだ!」(日記・昭和十四年八月二十六日)

 じつは私も苦しまなければ、野垂れ死にも悪くないと思います。病気の治療が長引いて、ベッドの上で不自由な生活をし、苦しみながら死ぬのはいやです。それならば、いっそあっさりと野垂れ死できたら、そのほうがよっぽどましです。それは「獣のように、鳥のように、せめて虫のように」死ぬことかもしれませんが、現代のような末期医療で死ぬことに比べて不幸であるとも思えません。

 山頭火の時代にあっては、畳の上で死ぬことが理想でしょうが、やはり長患いで死ぬ人も多かったのでしょう。彼にはそれは怖かったのかもしれません。ころりと死んでしまいたかったのです。それは誰でも願うことです。ただよくわからないのは、彼は畳の上での死を望んだのかどうかということです。旅の宿で死ぬよりも野宿をしながらのたれ死ぬ方が山頭火らしい死に方です。何もかも捨てて、放浪と句作そして酒に生きた俳人にはやはりそれはふさわしい死であると思います。

 ともあれ彼はころり往生を願いました。願いながらも愚は愚。バカは治りません。最晩年になっても相変わらずです。

 「馬鹿野郎! 先夜は交番の厄介になつたではないか、阿呆、年寄りは年寄りらしく振舞え、戦時ではないか、しつかりしろ!」(日記・昭和十五年八月二十三日)

 大酒でも飲んだのでしょう。このとき、58歳。太平洋戦争の前年で、日中戦争はとっくにはじまっています。山頭火が死ぬ年の出来事でした。

 「ワン公よ有難う、白いワン公よ、あまりは、これもどこからともなく出てきた白い猫に供養した。最初の、そして最後の功徳! 犬から頂戴するとは!」(日記・昭和十五年十月二日)

 どうやら犬に食べ物を恵んでもらったようです。犬は山頭火の何かを感じ取っていたのかもしれません。

 それから8日後の十月十日に、山頭火のささやかな住居である一草庵で句会があり、山頭火は句会の隣室で休息します。句会の参加者たちは彼の病状に気付かぬまま散会します。

 翌十一日、午前四時ごろに逝去。診断は心臓麻痺でした。予想通りの死因でころり往生を遂げました。

山頭火日記〈1〉 (山頭火文庫)
山頭火日記〈2〉 (山頭火文庫)
山頭火 日記〈3〉 (山頭火文庫)
山頭火 日記〈4〉 (山頭火文庫)
山頭火 日記〈5〉 (山頭火文庫)
山頭火 日記〈6〉 (山頭火文庫)
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『山頭火のぐうたら日記』 鬱と酒と自殺

山頭火のぐうたら日記
種田 山頭火
4394902614


 なぜ仏教修行者らしいことができないのか。それ以前になぜしっかり生きられないのか。

 山頭火の履歴を見ると、「神経衰弱のため早稲田大学を退学」となっています。現在ならば、自律神経失調症もしくはウツ病があたりが疑われます。

 次の日記を見ると、以後も定期的に襲ってくる何かがあるようです。

 「晩春から初夏へうつる季節に於ける常套病-焦燥、憂欝、疲労、苦悩、-それを私もまだ持ちつづけている。」(日記・昭和八年四月三十日)

 では、家庭はどうかといえば、家庭は彼には何の慰めにもなっていないようです。

 「家庭は牢獄だ、とは思わないが、家庭は砂漠である」(雑誌「層雲」大正三年九月号)

 「理解なき夫婦ほど悲惨なものはない、理解し得ざる親子は別居することも出来るが、理解なき夫婦は同じ床に眠って別々の夢を繰り返さなければならない!」(雑誌「層雲」大正四年六月号)

 さらに彼はアルコール依存の傾向も強く、飲んだ後には自己嫌悪も強く感じていました。それだけならば、病気であると結論づけられますが、甘えた性格もあったように推測されます。

 「我儘ということについて考える、私はあまり我がままに育った、そしてあまり我がままに生きて来た、しかし幸にして私は破産した、そして禅門に入った」(日記・昭和五年十二月十四日)

 家庭の破綻、うつ傾向、アルコール依存、さらには性格としての我儘、甘え。こうしたものがないまぜになって彼はきちんと生きることができない状況に陥っていました。それを彼は一言で「愚」と呼びました。

 「本来の愚を守って愚に徹す、愚に生きる外なし、愚を活かす外なし。」(日記・昭和八年二月一日)

 家族を失い、放浪をし、愚に生きる男は孤独に耐えられないというさらなる弱点も持っていました。

 「心が沈んでゆく、泥沼に落ちたように、-しずかにして落ちつけない、落ちついていらいらする、それは生理的には酒精中毒、心理的には孤独感からきていることは、私自身に解りすぎるほど解ってはいるが、さて、どうしようもないではないか!(日記・昭和九年二月七日)

   どうしようもないわたしが歩いてゐる  山頭火

 この句は求道的な人間の厳しい自己批判ではなく、そのまま素直な感慨ではないでしょうか。

 せめて酒をやめることができれば、事態は好転するかのように思えますが、彼にはそれができません。このように「どうしようもないわたし」を抱えたまま生きていくのはつらいことです。だから、山頭火は自殺未遂もしています。

 「私とアルコールとはとうてい絶縁することが出来ません、絶縁すれば私はもっといけなくなるのです、此矛盾の苦悶に堪えかねて、幾度か自殺を企てました、昨年の卒倒も実は自殺未遂だったのです、此旅行だって死場所を見つけるためでした。」(書簡 (木村緑平宛て) 昭和十一年六月三十日)

 「とにかく生きていたくなくなった、というよりも生きてはいられなくなった、とすれば、死ぬるより外ない、死んで、これ以上の恥と悩みとから免れるより外ない。」(日記・昭和十一年十一月十六日)

 「自殺は弱者の悲しい武器だ。」(日記・昭和十二年一月三十日)

 自殺が武器であるとはじつに悲しい告白です。自分を消滅させ、苦しみから脱することができる最終的な武器。だが、幸いなことに山頭火は自殺にも失敗しました。

 そして最後に残された彼の生き方はなんだったのでしょうか。

(つづく)

山頭火日記〈1〉 (山頭火文庫)
山頭火日記〈2〉 (山頭火文庫)
山頭火 日記〈3〉 (山頭火文庫)
山頭火 日記〈4〉 (山頭火文庫)
山頭火 日記〈5〉 (山頭火文庫)
山頭火 日記〈6〉 (山頭火文庫)
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『山頭火のぐうたら日記』 行乞と歩行と俳句

山頭火のぐうたら日記
種田 山頭火
4394902614


 この本は種田山頭火の日記からの抜粋を中心に、書簡、雑誌に発表した文章から構成されています。日記にはその時々の心情がストレートに語られているので、山頭火が何に悩みどう生きようとしていたのかがよくわかります。

 俳句を読んでも彼の心情はわかりますが、日記の方がやはり赤裸々です。

 俳句だけを読んでいる人はの中には山頭火のことを仏教修行者のように思っている人も多いようですが、日記からはとてもそんな人間像は浮かんできません。

 「行乞は嫌だ、流浪も嫌だ、嫌なことをしなければならないから、なおなお嫌だ。」(日記・昭和五年十二月十九日)

 「私は疲れた。歩くことにも疲れたが、それよりも行乞の矛盾を繰り返すことに疲れた。袈裟のかげに隠れる、嘘の経文を読む、貰いの技巧を弄する、応供の資格なくして供養を受ける苦悩には堪えきれなくなったのである。」(雑誌「三八九」第1集・昭和六年二月二日発行)

 ここから浮かんでくるのは、袈裟を着て仏教修行者のフリをして托鉢をするニセ坊主の姿です。彼は実際に出家して得度もしていますが、少なくとも自分の意識の上では仏教者ではありません。はっきりと自己批判をしています。

 「托鉢して、そして仏弟子として修行しないならば、それは一種の詐偽取材だ。行乞して、物資を費消するならば、それも一種の搾取だ。仏家として仏道に精進しないならば、背任行為ではないか!
」(日記・昭和十一年十月十日)

 このような自己批判を山頭火の誠実さと見る人もいるかもしれませんが、戒律を守らない大酒のみで仏教修行をしない人を修行者と呼ぶことはできません。もちろん、戒律を守らない坊主が日本には多いし、反省するだけでもましだと弁護もできます。そういう人は山頭火を求道者のように見る傾向があります。しかし、それは比較対照する日本の坊主がひどすぎるのです。批判してしかるべきと私は思います。

 それにしても、なぜ山頭火はそんなに嫌な行乞の旅を続けるのでしょう。彼は収入源がほとんどないので行乞が収入を得る手段になっていることが大きな理由です。

 「やっぱり行乞したくない、したくないけれどしなければならない、やっと食べるだけ泊まるだけいただく(ずいぶんハジカれた、いやいやでやるんだから、それがあたまりまえだろう)。」(日記・昭和五年十月二十日)

 「行乞は一種の労働だ、殊に私のような乞食坊主には堪えがたい苦悩だ、しかしそれは反省と努力とをもたらす、私は行乞しないでいると、いつとなく知らず識らずの間に安易と放恣とに堕在する、」(日記・昭和十年八月十九日


 山頭火は詐欺的であると自覚していますが、食うためには仕方ないと考えていたようです。さらにその苦しみの行為が人格的な成長を促す面もあると考えていました。では、本当に彼は成長したのでしょうか。それは後の日記を見なければなりません。

 歩くことに対してはむしろ肯定的です。歩くのは疲れたといいながら、本来は歩くことが好きであり、歩くことに執着しています。それは俳句を作ることと関連しています。

 「歩かない日はさみしい、飲まない日はさみしい、作らない日はさみしい、ひとりでいることはさみしいけれど、ひとりで歩き、ひとりで飲み、ひとりで作っていることはさみしくない。」(日記・昭和五年十月二十日)

 「いよいよ覚悟をきめた、私は其中庵を解消して遠い旅に出かけよう、背水の陣をしくのだ、捨身の構えだ、行乞山頭火でないとほんとうの句が出来ない、俳人山頭火になりきれない。」(日記・昭和十三年四月十二日)

 放浪の旅の中で山頭火の魅力的な句はできます。俳句を作るためにも歩かなければならないと彼は考えています。しかも行乞する中で俳句ができると思っています。ただ歩くだけではなく行乞する姿が俳句の題材として魅力的だということを意味するのではないでしょうか。お金を得る手段としての行乞が俳句のネタにもなっているのです。

 であるならなおさら真面目に仏教修行をすべきなのですが、どうにもそれが彼にはできません。

(つづく)

山頭火日記〈1〉 (山頭火文庫)
山頭火日記〈2〉 (山頭火文庫)
山頭火 日記〈3〉 (山頭火文庫)
山頭火 日記〈4〉 (山頭火文庫)
山頭火 日記〈5〉 (山頭火文庫)
山頭火 日記〈6〉 (山頭火文庫)
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『失踪日記』 吾妻ひでお

失踪日記
吾妻 ひでお
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 吾妻ひでおは、『やけくそ天使』や『不条理日記』で知られるかつての人気マンガ家です。この『失踪日記』は、実話マンガであり、人気漫画家が失踪して路上生活者となるという衝撃の内容です。

 吾妻氏は、「仕事したくない病」のためにすべての仕事をキャンセルして、酒を飲んでばかりの生活をはじめます。そしていよいよおかしくなって山中で自殺未遂、そしてホームレス生活に突入となります。

 とにかくそのホームレスの生活ぶりがすさまじい。モノが少ない状態から始めた生活でしかも路上生活初心者のためにやたらと苦労をします。よく我慢ができると不思議に思えます。

 やがてホームレスにも慣れてうまく食事を得る方法を発見して、余裕ができると今度は退屈し始めます。ショーペンハウアーいうところの困苦と退屈です。

 二度目の失踪では、ホームレス生活が退屈なので配管工になって働きます。そこにはおかしな人たちにかこまれた生活がまっていました…。

 人気漫画家だった人が自ら望んでホームレスとなったのですから、前代未聞の奇行であり、それを赤裸々に描いた奇書です。ただし、保護された後の家族とのやりとりはまったく書かれていません。おそらくすごく面白いはずですが、家族に迷惑がかかるということなのでしょう。

 世間から遁世して隠遁閑居の生活を送りたいと思う人は多いでしょうが、ホームレスとなるとさすがに避けたいのが普通の人間です。漫画家としての仕事に行き詰まりを感じていたとはいえ、このような生活をするモチベーションがどこにあるのか理解しにくいです。

 もしかするとホームレスになりやすい人となりにくい人というのが世の中に入るのかもしれません。路上生活への抵抗感のなさといいますか、嫌悪感のなさといいますか。

 それにしても慣れるとホームレスも楽に暮らせそうです。マンガの前半は厳しい生活だったのに、途中からは悲壮感がまったくありません。吾妻氏の画風のせいもあるでしょうが、とても楽しそうに見えます。

 先日、テレビで神奈川県の防風林で暮らすホームレスを取材していました。ビニールや木造でいく部屋かを作り、そこで本を読み、ラジオをきき、コーヒーを淹れていました。じつに優雅な生活で驚きました。東京だと路上で寝ている汚いホームレスが多いのですが、場所さえあれば、あんなことも可能なのですね。ホームレスの世界もはっきりと格差があるようです。

 後半は漫画家へ復帰した後の話と、アルコール依存症で入院したときの体験記です。おそろしいアル中の症状と奇怪な患者たちの世界が描かれます。悲惨さではアルコール依存症はホームレスの比ではありません。壮絶です。

 本のカバー裏にインタビュー記事があるので忘れずに読んでください。本編の補足になっています。

逃亡日記
吾妻 ひでお

逃亡日記
うつうつひでお日記 (単行本コミックス) 便利屋みみちゃん 1 (ぶんか社コミックス) ネオ・アズマニア 3 (3) (ハヤカワコミック文庫 ア 4-11) 失踪日記 ネオ・アズマニア (2) (ハヤカワコミック文庫 (JA873))
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『幸福について』 知的生活のススメ

幸福について―人生論 (新潮文庫)
ショーペンハウアー
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 ショーペンハウアーによれば、人間の三つの生理学的な根本能力をもとにして三種類の享楽の源泉があるといいます。

 「第一は再生力の享楽である。飲食、消化、休息、睡眠の享楽である。」(『幸福について』ショーペンハウアー、橋本文夫訳)

 第一の享楽は、生存にかかわることなので、これらを好まない人間は死んでしまいます。たとえば食事を嫌いな人は生きていられないでしょう。自然がこうした享楽を人間に与えたのは当然です。

 しかし、これらの享楽を必要以上に貪ることはかえって生存を危うくします。食べ過ぎて健康を害することを思いうかべれば十分納得できるでしょう。節制がとても重要になります。

 「第二は刺激感性の享楽である。遊歴、跳躍、格闘、舞踊、撃剣、乗馬、その他あらゆる種類の運動競技、さては狩猟、はなはだしきは闘争や戦争、などの享楽である。」(『幸福について』)

 これらも生きるうえで重要といえばそういう面もありますが、この文脈でのポイントは「刺激」という言葉にあります。心は退屈を嫌い、刺激を欲します。心は刺激的なものを喜ぶのです。ときには刺激を求めて悪さえ求めることがあります。ですから、刺激に飢えた心はしばしば危険です。

 人間は慣れる動物ですから、より強い刺激を求めることになります。それが結果的に自分に不利なものであっても、やめることができなくなります。いわゆる依存症です。その極端な形が薬物依存やギャンブル依存です。刺激感性を野放しすることはとても危険なのです。

 「第三は精神的感受性の享楽である。考察、思惟、鑑賞、詩作、絵画彫刻、音楽、学習、読書、瞑想、発明、哲学的思索、などの享楽である。」(『幸福について』)

 たとえば、より高い精神的感受性があればより高度な作品を楽しむことができます。自分でも作品を作ることができます。ですから、「精神的感受性が断然圧倒的に多ければ多いほど、それだけ大きな精神的享楽が得られる」のです。

 精神的感受性の享楽にはこれといったマイナスはないため、精神的感受性の享楽を喜びとする人間は、やがてその享楽を生活の中心と考えるようになります。

 「彼にとっては知的な生活がしだいに本来の目的となり、身辺生活はただこの本来の目的のための手段と見られるようになる。したがって主な仕事はこの知的な生活から与えられる。知的な生活は、洞察と認識とが不断に豊かになることによって、あたかも完成過程にある芸術作品と同じく、まとまりを与えられ、不断に向上し、しだいに円熟する全一と完成とを得てくる。」(『幸福について』)
 
 日本でも知的生活という言葉が流行ったことがありますが、ここに引用したショーペンハウアーの考えなどはまさにその魁(さきがけ)といえるものです。

 現在、日本人の寿命が延びて、定年後の長い人生をどのようにすごすかが大きな問題となっています。政府や自治体はさかんに生涯学習をすすめようとしていますが、これは当然でしょう。なにしろ再生力の享楽や刺激感性の享楽は危険が伴います。年をとった人間にとってはなおさらこれら低級な享楽は害悪になりやすいのですから。

 精神的感受性の享楽はあまり疲れませんし、害悪もありません。感受性が高まれば、より楽しむことができるようになります。どんどん向上し、時間を費やしてかまいません。むしろ時間がある人にこそ精神的感受性の享楽はふさわしいのです。 

 ショーペンハウアーが知的ではない享楽を低級であると否定的に見ている理由には、他の論者には見られない彼独自のものがあります。最後にそれを紹介しておきましょう。

 「すなわちその目標が何であるにしても、行き着くところはことごとく意志の活動すわなち願望・期待・懸念・到達であり、しかも決して苦痛を伴わずに終始することはありえないし、そのうえ、真理がますます明瞭となる知的享楽とは反対に到達と同時に大抵は多かれ少なかれ幻滅の悲哀を感じさせられる。知力の国土には苦痛がない。」(『幸福について』)

 意志の活動は苦痛であるとショーペンハウアーは考えています。別のいい方をすると、煩悩に動かされる活動は苦痛であるということです。おそらく仏教の影響でしょう。自分自身を明確に観察することができれば、この真理に到達できると、原始仏教では考えています。

 欲望に駆られて何かを追い求めることは苦痛である。ここではあまり深追いはせずに、ただそのように理解しておいてください。それに対して精神的感受性の享受は意志の活動ではなく認識の活動であるため、苦痛を伴わないのだといいます。

 真理の追究にも欲望や苦痛は伴いそうな気がしますが、もし苦痛があるとしたら、それは精神的感受性とは違う意志の発動を伴わせるからそうなるのかもしれません。私は真理に近づいていないのでよくわかりません。

 ともあれ、ショーペンハウアーがいっているのは知的生活のススメです。理想的な知的生活には苦痛がないというのです。

知的生活の方法 (講談社現代新書 436)
渡部 昇一

知的生活の方法 (講談社現代新書 436)
知的生産の技術 (岩波新書) 考える技術・書く技術 (講談社現代新書 327) 「知」のソフトウェア (講談社現代新書 (722)) やわらかな心をもつ―ぼくたちふたりの運・鈍・根   新潮文庫 知的生活 (講談社学術文庫)
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