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求める生活水準は自分基準

 では、この大量消費社会である現代日本においてはどの程度の生活水準で足るを知ればいいのでしょうか。

 知足あるいは少欲知足と聞くと、とてつもなく貧しい生活をしなければいけないような印象を持つかもしれませんが、そうではありません。私は清貧のすすめをするつもりはありません。おすすめするのはせいぜい「ちょい貧」あたりです。

 さきほどの「収入≧支出」という式を思い出してください。たんに収入に見合った生活をすればいいのであって、どの程度まで生活レベルを落としなさいという具体的な目標があるわけではありません。

 労働時間を減らして収入が減ったのなら、それに見合った支出で暮らせばいい。そこに「知足」という考えを持ち込もうというのです。サラリーマン世帯の平均収入がいくらだから、自分もいくら欲しいなどと、外部に基準を設けるのではなく、自分の生活が成り立つなら、それでいいと考えます。

 収入が減り生活水準が落ちたとしても、それによってただちに不幸になるわけではないことは、ダウンシフターやスローライフの実践者が証言しています。親しい人たちとの交流、趣味の充実、閑適による心身のゆとり、知足による心の平安など別の豊かさを手に入れることができます。

 このことは「適応」の理論によっても説明できます。収入が減ったことで一時的に不幸に感じることがあっても、すぐにその状態に慣れてしまいます。収入がばかりではありません。事故や病気にあった人でも中長期的には幸福度は落ちることはありません。幸福感はそうしたことからは影響を受けにくいのです。

 低い収入、所有物の少なさ、生活の不便さなどに人間が不幸を感じるのは他人と比較するからです。他人と比べて収入が少ないから、家が小さいから、持ち物が少ないから、貯金が少ないから、不幸であると考える他人規準の思考にこそ不幸の原因があります。

 意識を向ける先を変えてください。別のことに喜びを見いだしてください。自由であること、自分が自分をコントロールできること、好きなことができること、リラックスして生きること、などに喜びを見いだせば、所有の競争に参加しなくてもすみます。

 つきあう階層やグループを変更することも効果的です。ダウンシフターはダウンシフターと、スローライフ実践者はスローライフ実践者と、B級遊民はB級遊民とつきあえば、比較に苦しむことは減ります。あなたが劣っているとか負けているとか評価されることはなくなります。

 もちろん人間の生存に必要なだけの収入は必要です。衣食住の不足するようではつらすぎるでしょう。これに欠けることがあればそれは不幸な生活といえます(それも人によるでしょうけど)。あまりにひもじい生活では閑適に憩うこともできないでしょう。

 日本国憲法第25条には「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とあります。これでは具体的なことはわかりませんが、ただ生存するだけではなく、やはり健康でありたいし、そこそこ文化的でもありたいでしょう。

 最低限の衣食住は満たしたいし、電気、水道、ガス、電話のある生活はしたいものです。テレビを見たり、音楽を聴いたりもしたい。本も読みたい。ある程度の便利さと精神的な飢えを満たすための消費もあってしかるべきでしょう。こうした消費の増加はそれなりに幸福を増進します。

 しかし、基本的にはそこまででいいのではないでしょうか。その程度のことで足るを知ればそれほどお金はかかりません。

 昔の人はこれよりはるかに低いレベルで生活していました。ガス、電気、水道なんて完備していません。テレビもステレオもありません。パソコンもエアコンもありません。もちろん自家用車もありません。それが当たり前でした。それに比べて現代人の生活レベルははるかに高いところにあります。

 だから何もない昔の生活レベルまでさげるべきだとは思いません。現在の日本で生活するのですから、知足といってもそこそこの生活水準は求めてもよいでしょう。しかし、求めるのはそこそこの水準です。

 ギリシャ語にアウタルケイアという言葉があります。自己充足と訳されます。意味は「いたずらに多きを求めず、また僅かなことをよしとするのでもなく、程々にて自ら足れりとすること」(岩崎允胤『ヘレニズム ローマ期の哲学』)です。

 B級遊民はなにも清貧を美徳とする思想ではありません。ほどよく満足できれば、それ以上は望まずにあとは好きなことをするだけです。知足とは主観的なものです。自分がよしとすればよいのです。

 このレベルの生活をしましょうと具体的な目標の生活レベルを決める必要はありません。人間は慣れる生き物です。低い生活レベルなら低いレベルなりに「これで十分じゃないか」という気持ちで暮らすことが大切です。そう思えるかどうかでB級遊民に安らげるかどうかが決ってきます。

ヘレニズム・ローマ期の哲学―西洋古代哲学史〈2〉 (西洋古代哲学史 (2))

ヘレニズムの思想家 (講談社学術文庫)
岩崎 允胤
4061598368


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テーマ : ロハス&エコロジーライフ
ジャンル : ライフ

欲望には果てがない

 私たちがより多くの収入を得たがる、もうひとつの理由は、欲望の果てのない性質にあります。

 「年間所得が一〇万ドル〔約一六〇〇万円〕以上の世帯では、二七%が本当に必要とするモノを何でも買う余裕はないと述べ、二〇%近くが基本的な生活必需品に所得のほとんどすべてを支出すると述べている。七万五〇〇〇ドル超、一〇万ドル以下の階層では、三九%と三三%が、それぞれ同じように答えている。全体としては、世界でもっとも富んだ国の人口の半分は、実際に必要なモノを何でも買う余裕はないと言っているのである。しかもそれは人口の半分の貧しい人びとのことではない」(『浪費するアメリカ人』)

 ありあまるほどの物を所有しているのに、まだ足りないと考えるのが人間です。欲望には際限がありません。貪欲にとりつかれた人は果てしなく欲望を追求します。仏陀が教えるように、足ることを知らない人はお金があっても心は貧しいのです。

 欲望の果てしのなさを「適応」という性質によって説明したのは、心理学者のブリックマンとキャンベルです。「宝くじで巨額の富を手にした人も、最初に幸福度が一気に上昇するだけで終わってしまうことがわかりました。数ヵ月もたてば幸せな気持ちもしぼみ、もとのもくあみ」(ダニエル・ネトル『目からウロコの幸福学』オープンナレッジ)というわけです。

 なにかを手に入れたとき、私たちはとても喜びます。しかし、しばらくすると、そのことに慣れてしまいます。あれを手に入れれば、幸せになれると信じて奮闘して、手に入れて、つかの間の喜びの後に、以前の気持ちに戻ってしまいます。そうしてまた次の幸福を求めて奮闘をはじめます。

 幸福は馬の前にぶらさげたニンジンのようなものです。ニンジンが欲しくて必死に走ると、ご褒美にニンジンがもらえます。ニンジンを食べて一時的に満足できても、すぐにおなかが減ってしまいます。また次のニンジンを求めて必死に走ることになります。

 経済学者リチャード・イースタリンは実験によりこのことを確かめました。

 被験者は高価な消費財(家、車、テレビ、海外旅行、プール、別荘など)のリストから、理想的な生活に必要なものとすでに自分が所有しているものをチェックします。そして16年後に同じリストをチェックします。

 16年後、所有しているものは平均1.7アイテムから3.1アイテムに増えました。理想的な生活に必要だと考えるものも、平均4.4アイテムから5.6アイテムヘと増えました。

 自分が所有するものが増えても、理想の生活のために必要なものもまた増えるので、生活にはつねに何かが足りません。先の方に見えている理想の生活に来たつもりでも、理想の生活はさらに先に見えています。

 人間の欲望にはきりがありません。必死にがんばって何かを手に入れても、また別の何かが欲しいのです。結果的には幸福度は変わりません。

 欲望はそういうものだから、次々と次の欲望を満たすために、行動すればいいという考え方もあるでしょう。しかし、それでは際限のない渇望の中に自分を置くことになります。一時的な満足感はあっても、すぐに慣れてしまい、やがて渇きに苦しみます。欲望を追いかける生活は永遠に続く苦しみです。

 足るを知る人は、終わりのない競争も果てしのない欲望の追求も愚かなことだと考えます。すでに自分が持っているものに満足することで、心の平安を得ることができるからです。いつまでも渇望を抱えて突き進むのと、今満足して暮らすのと、どちらを望みますか。

浪費するアメリカ人―なぜ要らないものまで欲しがるか
ジュリエット・B. ショア Juliet B. Schor 森岡 孝二
4000025848


目からウロコの幸福学
ダニエル・ネトル 山岡 万里子
4902444488


テーマ : 幸せな生活
ジャンル : ライフ

終わりのない競争

 日本は、物質的な豊かさと幸福度との間にもはや関連がなくなっている時代に突入しています。それにもかかわらず私たちは相変わらずより多くの所得を求め続けています。それはなぜでしょうか。

 ひとつの理由は、競争心です。人間には、他人との比較によって満足感を得ようとする傾向があるからです。

 Science日本版にドイツの研究チームによる研究の記事が出ていました。「最近の神経科学的な研究によると、人間は報酬をどれだけ手に入れたかという絶対的な量よりも、相対的に他人よりどれだけ多いのかを重視することがわかった」そうです。

 私たちは意識的無意識的にかかわらずある階層やグループ(会社の同僚など)と自分とを比較しています。その対象となるグループを準拠集団といいます。その準拠集団の中に残りたい、下には落ちたくないと思っています。一方で、その準拠集団の中でより上位にいきたい、できれば上の階層にあがりたいと思っています。

 そのため、少しずつでも収入を増やそうとしますし、物資的に豊かな生活を実現しようとするのです。そうした努力の集積として、結果的には、全体が少しずつ上昇することになります。

 森の植物が太陽の光を得るために上へ上へと伸びていくのと似ています。背の高い樹木は他の樹木よりもいい条件で光を得ようと進化しました。みんなが背の低い木であればそんなに大きくなる必要はないのですが、まわりがみんな大きくなるので、自分も負けるわけにはいかないのです。

 他人に勝ちたくて、人は競争をします。その結果、社会が豊かになり、みんなが豊かになれれば、それでいいという考えも確かにあります。しかし、先ほど見たように、ある程度豊かになってしまえば、あとはいくら所得が上昇しても幸福度があがるわけではありません。

 そして、この競争には終わりがありません。やがて競争の参加者は疲れてしまいます。うつ病が増え、薬物による依存症が増えているのは、競争の激化のせいです。これは命をすり減らす戦いです。赤い女王の国にいる限り、薬を使っても競争に参加しなければなりません。

豊かさとは何か (岩波新書)窒息するオフィス 仕事に強迫されるアメリカ人

テーマ : スピリチュアルライフな生き方
ジャンル : ライフ

豊かになっても幸福は増えない

 物質的な豊かさを追い求めて日本人はがんばってきました。しかし、むやみに消費を拡大しても幸福は増大しない、という事実があります。

 「消費を続けると、あるところから便益が逓減するということが研究で裏づけられている。これらの研究は、豊かな国々において個人資産水準は上昇しつづけているのに、自分を『たいへんに幸せ』と考える人の割合が増えていないことを示している。つまり、貧しい人々の幸福感は所得向上とともに高まる傾向があるが、ひとたび一定の所得水準が達せられると、幸福感と所得向上のあいだの正の相関性が失われることを示している。」(『ワールドウォッチ研究所 地球白書 2004-05』クリストファー・フレイヴィン編著、家の光協会)

 このような現象を、経済学では限界効用逓減の法則と呼んでいます。「ある財の消費量を増加させていくとき、一単位増えることによって得られる主観的な満足度」は「しだいに減少するという法則」です。(大辞泉)

 たとえば、まんじゅうを食べているとしましょう。最初の1個はおいしい、2個目はちょっと飽きます。3個目はもう食べきれません。つまり、まんじゅうのおいしさはどんどん減っていくということです。まんじゅうそのものは客観的に変わらなくても人間の側が効用を感じなくなっていくわけです。

 当然、最初は効果があります。貧困状態から豊かさが増していけば、飢餓から解放され、住居により暑さ寒さから守られ、安全が得られ、医療も受けられるようになって、幸福度は増します。しかし、徐々に幸福度は頭うちになってしまい、最後は収入が増えても幸福度には影響しなくなります。

 アメリカの「平均所得と幸福感」に関する調査によれば、1957年から2002年までの間に平均所得が3倍近くになっているにもかかわらず、平均満足度の向上が見られません。ある一定水準まで所得が増えてしまうと、平均所得が3倍になっても人は幸せになるわけではありません。インフレを考慮しても、物資的豊かさと幸福の間にはリニアな関係はありません。ちなみに1957年のアメリカの平均所得は8000ドル程度でした。

 日本はすでに1950年代のアメリカよりも豊かです。収入を増やしたところでより幸せになれるわけではない時代にだいぶ前から突入しています。日本人の平均所得の向上や消費の増大はもはや幸福感にはかかわりがありません。がんばったところで「幸福感」という点では得るものはないのです。

地球白書〈2004‐05〉―ワールドウォッチ研究所地球白書〈2006-07〉―ワールドウォッチ研究所地球白書 [2007-08] 都市の未来 ―ワールドウォッチ研究所


テーマ : ロハス&エコロジーライフ
ジャンル : ライフ

失われた古代からの知恵

 閑適を目指しあまり働かないのであれば、当然、収入は少ない。少ない収入でも心豊かに暮らすには「足るを知る」ことがなによりも大切になります。

 足るを知るとは、自分が所有しているわずかなもので足りている、十分であると考えることです。広辞苑には「現状を満ち足りたものと理解し、不満を持たないこと」とあります。

 「知足」の思想は古来より存在し、日本人には馴染み深いものです。

 ブッダが入滅する際に残したとされる『遺教経(ゆいきょうぎょう)』に「知足の人は地上に臥(ふ)すと雖(いえど)も、なお安楽なりとす。不知足の者は、天堂に処すと雖も亦意に称わず。不知足の者は、富めりと雖も而も貧し。」とあります。「足ることを知っている人は地べたに寝ていても安楽です。足ることを知らない人は天の宮殿に住んでいても心は満たせません。足ることを知らない人はお金があっても貧しいのです」という意味です。

 このお経は鳩摩羅什(くまらじゅう)により漢訳されたものです。詳しくは『仏垂般涅槃略説教誡経(ぶっすいせつねはんりゃくせっきょうかいきょう)』といい、禅宗で重んぜられています。 

 日本で作られたお経である『往生要集』には「足ることを知らば貧といへども富と名づくべし 財ありとも欲多ければこれを貧と名づく」とあります。同じ意味ですが、より簡潔に表現されています。

 『老子』の三十三章にも「足るを知るものは富む」とあります。仏教と同じ意味です。辞書に引用されている文章はたいがいが老子のこの一節です。

 『論語』の学而十五には「子(し)貢(こう)曰く、貧にして諂(へつら)うなく、富みて驕(おご)るなきはいかん。子曰く、可なり。いまだ貧にして道を楽しみ、富みて礼を好む者にしかざるなり。」とあります。「子貢がいいました。貧乏であってもへつらわず、豊かであってもおごらないのはどうでしょうか。先生が答えられました。よろしい。しかし貧乏であっても道を楽しみ、豊かであっても礼儀を好むのには及ばないだろうね。」

 論語においては、直接に「知足」を語ってはいませんが、貧しくても品位を失わない、仁を失わないという意味の言葉が出てきます。広い意味で知足をふくんでいると見ていいでしょう。

 このように仏教、道教、儒教のいずれにも知足の思想はあらわれています。いずれも日本に多大な影響を与えたインド思想であり中国の思想です。当然、日本に輸入された後も知足の考えは日本人の中に浸透しました。仏教や儒教について書かれた本には知足や節約についての言及がありますし、茶道には「知足安分」という言葉も残っています。

 思想だけに限定されません。知足は節約という形で日本人の生活の基調をなしていました。日本人は、紙や木をうまく使い(広い意味での太陽熱の利用です)、さまざまな生活財をリサイクルし、過剰な消費をできるだけ避けるような生活の仕組みを作り上げました。江戸時代にはこのような生活スタイルはほぼ完成していました。

 そんなに昔ではなくとも以前の日本人はものを大切にしていました。一度購入したものは徹底的に使いきったものです。古くなったからとか新製品が出たからと買いなおすことなどありませんでした。ほんの数十年前まではそうした生活スタイルが当たり前であったのです。

 こうした道徳、美徳を日本人が失うのは、明治維新以降のことです。最初はゆっくりと進みました。文明開化の西洋化により工業化が進み、欧米の消費文化も少しずつ浸透しました。かつての呉服屋が百貨店になり、新しい西洋風ファッションや美容に関心を示す婦人たちが消費文化の主役となりました。

 こうした流れは太平洋戦争で一度チャラになるのですが、戦後、急速に復興します。とりわけ日本人の消費スタイルに変化が現れるのは、1955~1973年の高度経済成長期においてです。1956年に経済白書が「もはや戦後ではない」と宣言し、1959年には「消費革命」という言葉が登場しました。

 アメリカ流の浪費戦略論(マーケティングの一種)も輸入されて、メディアを通じて日本人全体の意識を変化させ、国民の欲望は急激に増大しました。

 日本人の意識は変わりました。日本人はものを大切にすることをやめました。まだまだ使えるものであっても、さっさと廃棄して新製品を買うようになりました。古来よりの知足という道徳は消えました。「もったいない」の心を失いました。アメリカの後を追うようにして日本は世界有数の高度消費社会となったのです。

遺教経に学ぶ―釈尊最後の教え老子 (中公文庫)
論語 (岩波文庫)往生要集―地獄のすがた・念仏の系譜 浄土への往生を苛烈なまでに求めた時代と人びとの心 (NHKライブラリー)

テーマ : ロハス&エコロジーライフ
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プロフィール

Cozy

Author:Cozy
情報処理系講師、フリーライター。減速生活者にしてB級遊民。

Twitterはcozyoffです。
TwilogはCozy(@cozyoff)です。

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